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易経六十四卦と本書(時の物語)の関係 21

六十一.真心で不可能を可能にする時 二百八十一頁 風澤中孚 ☴☱
六十二.適度に抑制して謙遜する時  二百八十五頁 雷山小過 ☳☶
六十三.全てが完成した時      二百九十頁  水火既済 ☵☲
六十四.完成から未完成に移行した時 二百九十四頁 火水未済 ☲☵

六十一風澤中孚 ☴ ☱ 巽上兌下  真心で不可能を可能にする時 二百八十一頁
 風澤中孚☴☱の形を八卦に圧縮すると大きな離☲となる。離は真ん中が空洞で中虚である。中虚は己を虚しくする心であり、無我である。無我は自我に囚われない。自我は私利私欲につながるが、無我は私利私欲に囚われない心、すなわち真心である。
 風澤中孚は真心を大切にする時。吉田松陰の座右の言葉は孟子の「至誠にして動かざる者は、未だ之有らざる也。/これ以上至れるところがないほど至上の真心を抱いて物事に対峙すれば、その真剣な言行に感動しなかった人は、歴史上に一人もいない。」である。

六十二雷山小過 ☳ ☶ 震上艮下  適度に抑制して謙遜する時 二百八十五頁
 雷山小過☳☶は陰爻が四つ周りを囲んでおり、二つの陽爻が封じ込められている。陰爻が多過ぎて物事が停滞する時である。
 陽爻が四つ真ん中に詰まって(多過ぎて)力が漲(みなぎ)っているが、周りが二つの陰爻で脆弱ゆえ倒壊の危機にある澤風大過☱☴と対照的である。澤風大過は陽爻が四つもあるのでやり過ぎると危険だが、雷山小過は陽爻が二つしかないので、逆にやり過ぎることが求められる。
 どういう風にやり過ぎることが求められるかといえば、プラスの方向にやり過ぎるのではなく、マイナスの方向にやり過ぎることが求められる。
六十三水火既済 ☵ ☲ 坎上離下  全てが完成した時 二百九十頁
 繋辞上伝に「天一地二。天三地四。天五地六…/天は一、地に二、天は三、地は四、天は五、地は六…/占いに用いる数の概念は天地に基づいている。天を一とすれば地は二、天を三とすれば地は四、天を五とすれば地は六…。すなわち天を示す数は奇数であり、地を示す数は偶数である。」とある。それゆえ、六十四卦の初爻から上爻のうち、奇数である初爻、三爻、五爻には陽爻(天)が位置して、偶数である二爻、四爻、上爻には陰爻(地)が位置すべきだと考える。水火既済はその条件を全て満たしている六十四卦中唯一の卦である。さらに初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と上爻の相性がよく、初爻と二爻、二爻と三爻、三爻と四爻、四爻と五爻、五爻と上爻の相性がよい。すなわち、全ての爻の相性がよい。

六十四火水未済 ☲ ☵ 離上坎下  完成から未完成に移行した時 二百九十四頁
 火水未済☲☵は水火既済☵☲を百八十度ひっくり返した形なので、奇数に在るべき陽爻が偶数に、偶数に在るべき陰爻が奇数にある。水火既済は適材適所の完璧な組織体制であるのに対して、火水未済は不適材不適所のガタガタに崩れた組織体制である。だが、全体が一つにまとまって事業を成し遂げる組織力(全爻相性がよい)を具えている。
 火水未済は水火既済の完成の時から未完成の時へと移行した。完成の時は何時までも続かない。何時かは崩れて未完成の時へと移行する。未完成の時は完成の時へ向かって行こうとする。六十四卦最後(六十四番目)の火水未済の時は完成の時へ向かって行くべく次の時へと移行する。すなわち六十四卦最初(一番目)の一乾為天☰☰の時に戻って、一から物事を成し遂げようとする。