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陰陽古事記伝 黄泉の国 三

□あらすじ
 伊(い)邪(ざ)那(な)岐(き)の命(みこと)は最後に追いかけてきた伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこと)と対面して、決別の会話(夫婦離別の呪文)を交わした。その会話によって人間の寿命が定まった。

【書き下し文】
最(いや)後(はて)に其(そ)の妹(いも)伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこと)、身自(みずか)ら追い來たりき。爾(しか)くして千(ち)引(びきの)石(いわ)を其(そ)の黄(よ)泉(もつ)比(ひ)良(ら)坂(さか)に引き塞(ふさ)ぎて、其(そ)の石を中に置き、おのおの對(むか)い立ちて、事(こと)戸(ど)(夫婦離別の呪文・竹田恒泰)を度(わた)す時、伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこと)言ひしく、「愛(うつく)しき我(あ)が那(な)勢(せ)の命(みこと)、如(か)此(く)爲(な)せば、汝(な)が國の人(ひと)草(くさ)を一(ひと)日(い)に千(ち)頭(がしら)絞(くび)り殺さむ」。爾(しか)くして伊(い)邪(ざ)那(な)岐(き)の命(みこと)、「愛(うつく)しき我(あ)が那(な)邇(に)妹(も)の命(みこと)、汝(な)が然(しか)爲(な)せば、吾(あ)は一(ひと)日(ひ)に千(ち)五(い)百(ほ)の産(うぶ)屋(や)を立てむ」と詔(の)りたまひき。是(ここ)を以(も)ちて一(ひと)日(ひ)に必ず千(ち)人(たり)死に、一(ひと)日(ひ)に必ず千(ち)五(い)百(ほ)人(たり)生まるるなり。故(かれ)、其(そ)の伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の神の命(みこと)を號(なづ)けて黄(よ)泉(も)津(つ)大(おお)神(かみ)と謂う。また云う、其(そ)の追ひしきしを以(も)ちて、道(ち)敷(しきの)大(おお)神(かみ)と號(な)く。また其(そ)の黄(よ)泉(みの)坂(さか)を塞(ふさ)げる石を道(ち)反(がえし)の大神と號(な)く。また、塞(さや)り坐(ま)す黄(よ)泉(み)戸(ど)の大神と謂う。故(かれ)、其(そ)の所謂(いわゆ)る黄(よ)泉(もつ)比(ひ)良(ら)坂(さか)は、今、出雲の國の伊(い)賦(ぶ)夜(や)坂(ざか)と謂ふ。

〇通釈(超釈はない)
 最後に、伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこと)がすさまじい形相で追いかけてきた。そこで、伊(い)邪(ざ)那(な)岐(き)の命(みこと)は千(ち)引(びきの)石(いわ)(千人が力を合わせてやっと動くくらいの巨大な岩)をエイッと引っぱってきて黄(よ)泉(もつ)比(ひ)良(ら)坂(さか)と黄泉の国の間に置いて黄泉の国と葦原の中つ国が行き来できないように塞(ふさ)いだ。そして、千(ち)引(びきの)石(いわ)を挟んで、伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこと)と向き合い、事(こと)戸(ど)(夫婦離別の呪文)を言い度(わた)した時に、伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこと)は、「愛しいわが夫である伊(い)邪(ざ)那(な)岐(き)の命(みこと)が、そのように惨(むご)いことをおっしゃるのであれば、わたしは、あなたの国の人々を一日に千人殺してしまいましょう」と言った。
 それに対して伊(い)邪(ざ)那(な)岐(き)の命(みこと)は、「愛しいわが妻である伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこと)が、そのような非道いことを言うのならば、わたしは一日に千五百人の赤ちゃんが産まれるように子作りを推進しよう」とおっしゃったのである。以上のような経緯があったので、人間は一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人産まれるようになった(すなわち、毎日人口が増加するようになった)のである。
 そこで、伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこと)を名付けて黄(よ)泉(も)津(つ)大(おお)神(かみ)と言うのである。また、伊(い)邪(ざ)那(な)岐(き)の命(みこと)をすさまじい形相で追いかけてきて遂に追いついた(及んだ)ことによって道(ち)敷(しきの)大(おお)神(かみ)(敷は及んだと云う意味)と名付ける。また黄(よ)泉(もつ)比(ひ)良(ら)坂(さか)を塞(ふさ)いだ巨大な岩を道(ち)反(がえし)の大神と名付ける。また、黄泉の国を塞いでいる黄(よ)泉(み)戸(ど)の大神と言う。そして、以上の物語の舞台となった黄(よ)泉(もつ)比(ひ)良(ら)坂(さか)のことを、今は、出雲の国の伊(い)賦(ぶ)夜(や)坂(ざか)と言う。

黄泉の国のまとめ

 伊(い)邪(ざ)那(な)岐(き)と伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の対立は、易経の坤為地上六に書いてある陰の陽(坤為地上六)と陽の陽(乾為天上九)が対立して共倒れとなることを下敷きにして創作された物語だと思われる。