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人生に役立つ易経 巽為風

 立派な人(大人)は滅多にいない(千人に一人くらいの確率)ので、立派な人(大人)にはなかなか出逢えない。そこで、歴史上の人物から自分が心から尊敬できる人を見付けることが早道である。筆者が日本の近現代史から立派な人(大人)を選ぶとすれば「西郷隆盛」の他にはいない。
 西郷隆盛について、内村鑑三著・鈴木範久訳「代表的日本人」岩波書店には、次のように書いてある。以下、同書から抜粋して引用する。

 【まず、西郷ほど生活上の欲望のなかった人は、他にはいないように思われます。日本の陸軍大将、近衛都督、閣僚のなかでの最有力者でありながら、西郷の外見は、ごく普通の兵士と変わりませんでした。西郷の月収が数百円であったころ、必要とする分は一五円で足り、残りは困っている友人ならだれにでも与えられました。東京の番町の住居はみずぼらしい建物で、一ヵ月の家賃は三円であったのです。
 その普段着は薩摩がすりで、幅広の木綿帯、足には大きな下駄を履くだけでした。この身なりのままで西郷は、宮中の晩餐会であれ、どこへでも常に現れました。食べ物は、自分の前に出されたものなら何でも食べました。あるとき、一人の客が西郷の家を訪ねると、西郷が数人の兵士や従者たちと、大きな手桶をかこんで、容器のなかに冷やしてあるそばを食べているところでありました。自分も純真な大きな子供である西郷は、若者たちと食べることが、お気に入りの宴会であったのです。
 西郷は、身の回りのことに無関心なら、財産にも無関心でありました。東京一の繁華街に、りっぱな土地を所有していたことがあります。それを設立されたばかりの国立銀行に売却しました。価格を聞かれても語ろうとはしませんでした。今日も同法人の所有のままになっているその土地は、数十万ドルの値打ちがあるとされます。西郷の年金収入の大部分は、ことごとく鹿児島で始めた学校の維持のために用いられました。西郷の作った次の漢詩があります。
  我が家の法、人知るや否や
  児孫のために、美田を買わず
 このように西郷は、妻子のために何も遺しませんでしたが、謀反者として死んだにもかかわらず、国家が遺族の面倒をみてくれました。】

 引用は以上である。このような立派な人(大人)は滅多にいないであろう。また、このように立派な人(大人)だから、謙って順うことができるのである。以下省略。