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マネー主義が後退するか進行するか 二

2022年2月21日

 次に、澤雷随と雷地豫の爻辞で一月~十二月まで日本社会が置かれる状況を見立ててみる。
 澤雷随の初爻には「初九。官(かん)渝(かわ)る有り。貞にして吉。門を出(い)でて交(まじ)われば功有り。初九は剛健正位で才能と人德を具えており、卦の最下に居る震動の主(あるじ)である。随うべき相手に随う時に中(あた)って、比する六二に随う(六二は九五と応じる関係なので、初九と九五の橋渡し役にもなり得る)。六二に随うことにより、その役割や役職が変わることもあるが、正しく六二に随えば幸運を得る。己を虚しくして門を出て広く衆(しゆう)人(じん)と交われば成功する。」とある。
 下卦震雷の長男は上卦兌澤の少女に随う。上卦兌澤の少女をマネー主義だとすれば、下卦震雷の長男はマネー主義に随うことになる。初九は比する六二に随う。共に震雷の長男である。仲良く上卦兌澤のマネー主義に随うと読み解くことができる。以上が今年一月の日本社会である。
 二爻には「六二。小(しよう)子(し)に係(かか)れば、丈(じよう)夫(ぶ)を失う。柔順中正の忠臣六二は九五に応じ初九に比している。比する賢臣初九と親しんで、共に九五に随えば正しい道を失わない。随う道を踏み外して、小子(小人六三)に随えば、丈夫(賢臣初九)を失うことになる。」とある。
 六二は九五に応じている。すなわち、マネー主義の手下である。比する初九とは仲良くするが、本来仲間であるはずの上司六三を冷たくあしらう。仲間よりもお金が大事なのである。以上が二月の日本社会である。
 三爻には「六三。丈(じよう)夫(ぶ)に係(かか)れば、小(しよう)子(し)を失う。隨いて求むる有れば得(う)。貞に居(お)るに利(よろ)し。陰柔不正の六三が九四の丈(じよう)夫(ぶ)(陽剛の側近)に随えば、小子(部下である六二と初九)を失うことになるが、貪欲に九四に随い媚(こ)び諂(へつら)えば、富(ふう)貴(き)を得ることができる。貪欲に媚び諂って富貴を得ても誉められた話ではない。随うべき相手に随う時の正しい道(相手を思いやること)を固く守るが宜しい。」とある。
 六三は日本のリーダーである。日本のリーダーでありながら、部下を見殺しにしてマネー主義に随って媚び諂う。何ともまぁ、情けない姿である。以上が三月の日本社会である。
 四爻には「九四。隨いて獲(う)る有り。貞なるも凶。孚(まこと)有り道に在(あ)り、以(もつ)て明らかなれば何の咎あらん。陽剛の九四は天子の側近として陰柔の小人六三を率いて権力を振るう。権勢盛んなので得られないものは何もない。天子(トップ)を凌(しの)ぐ権力を手にしているので、自分は正しいつもりでいても、私利私欲が滲み出て周りに疑われて失脚する。九五の天子(トップ)の側近としての役割を全うすべく、至誠の心で随う時の正しい道を歩み、明智で幾(き)微(び)を察して対処すれば、どうして咎められるようなことがあろうか。」とある。
 四月はマネー主義側で内紛が起こる。日本のリーダー六三はマネー主義側の九四に従属している。九四は米国政府と中国共産党のことであろう。九五の天子は国際金融資本等である。
 五爻には「九五。嘉(か)に孚(まこと)あり。吉。剛健中正の天子(トップ)九五は、応ずる忠臣六二を深く信任して、比する上六に至(し)誠(せい)の心で随う。上下交わり德(とく)業(ぎよう)を成し遂げるので、天下の人々は皆九五に信服して随う。それゆえ、大いなる幸運を招き寄せる。」とある。
 五月は九五の国際金融資本等に日本の経済界が従属してマネー主義が日本を覆い尽くす。
 上爻には「上六。之(これ)を拘(こう)係(けい)し、乃(すなわ)ち從(したが)って之(これ)を維(つな)ぐ。王(おう)用(もつ)て西(せい)山(ざん)に亨(きよう)す。上六は柔順にして随うべき相手に随う隨の道を極めているので、九五の天子(トップ)は上六を慕って心(しん)服(ぷく)している。捕(と)らえて縄(なわ)で括(くく)った上に柱に繋(つな)ぎ止めるほど、九五の天子は上六を仰(あお)いて随っているのである。上六の立ち居振る舞いは、君臣の道を守って殷(いん)の天子(暗君紂王)に事(つか)えて、自分の領地の中にある西(せい)山(ざん)に大王(周国の祖先)を祭った周の文(ぶん)王(おう)のようである。殷王朝最後の天子紂王は暴虐の限りを尽くした。諸侯(小国の殿様)の心は離れて、人心は周の文王に集まり、殷王朝の領地内の三分の二の小国の殿様は周に服従していた。このように、文王は多くの諸侯に心から信服されていたのに、周の領地内にある西山に大王を祭り、天子の礼を行おうとはしなかった。すなわち、多くの諸侯は心から文王に随っていた(文王を慕っていた)のに、文王は殷王朝の天子である暴君紂王に諸侯(小国の殿様)として随ったのである。」とある。
 上六は周の文王に例えられている。ここでは、日本の皇室や英国の王室などに見立てる。文王は多くの諸侯に心から信服されていたのに、暴君紂王に随った。すなわち、日本の皇室や英国の王室は多くの庶民に心から信服されているのに、マネー主義に随うのである。