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四季と易経 その三十三

蚯蚓出(みみずいずる)(七十二候の候の二十候・立夏の次候)

【新暦五月十日ころから十四日ころまで】
 意味は「蚯蚓(みみず)が地上に這い出る(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 土の中で冬眠していた蚯蚓が、遅い目覚めで這い出してくるころ。蚯蚓は目がないため、「目見えず」が変化したものが語源に。

 「蚯蚓出(みみずいずる)」は、易経・陰陽消長卦の「澤天夬」九五に中る。次に「澤天夬」九五の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「澤天夬」九五の言葉は【新暦五月十日ころから十四日ころまで】に当て嵌まる。

澤天夬九五(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
九五。莧陸、夬夬。中行无咎。
○九五。莧(けん)陸(りく)、夬(かい)夬(かい)たり。中行にして咎无し。
 剛健中正の天子(トップ)九五は、夬(一陰五陽)の時の権力者で口先ばかりの佞人上六の影響下にある(比している)。小人(佞人)を除去する時の君主(トップ)でありながら、佞人上六を除去する決断がなかなかできない。
 だが、やがて誤りに気がつき衆陽(君子)を率いて佞人上六を除去する。中庸の(適切に上六を除去する)道に適っていれば、誰からも咎められない。

《小象伝》
象曰、中行无咎、中未光也。
○象に曰く、中行にして咎无しとは、中未(いま)だ光(おおい)ならざる也。
 小象伝は次のように言っている。中庸の(適切に上六を除去する)道に適っていれば、誰からも咎められない。君主(トップ)として、夬(一陰五陽)の時の権力者佞人上六の影響下にあったので、上六を除去する決断が遅れたのである。それが中庸の道に適っていたとしても、中庸の道が大いに行われた(最適な時期に上六を除去した)とは言い難い。それゆえ、咎を免れるに止まるのである。

 「澤天夬」九五の之卦は「雷天大壮」である。次に「雷天大壮」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「雷天大壮」六五の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「澤天夬」の九五と同じく【新暦五月十日ころから十四日ころまで】に当て嵌まる。

雷天大壮(澤天夬九五の之卦)

《卦辞・彖辞》
大壯、利貞。
○大(たい)壯(そう)は、貞(ただ)しきに利(よろ)し。
 大壮は陽(君子・盛運・善)の勢いが陰(小人・衰運・悪)を駆(く)逐(ちく)して益々盛んになる時である。盛運中の盛運の時であるが、調子に乗ってやり過ぎる(傲(ごう)慢(まん)になったり強(ごう)引(いん)すぎたりする)と大失敗を招き寄せる。調子に乗ってやり過ぎないように自分の言行を抑制して、常に正しい道(道德)を固く守るが宜しい。

《彖伝》
彖曰、大壯、大者壯也。剛以動、故壯。大壯利貞、大者正也。正大而天地情可見矣。
○彖に曰く、大壯とは、大なる者壯(さかん)なる也。剛にして以(もつ)て動く、故に壯(さかん)なり。大壯は貞(ただ)しきに利(よろ)しとは、大なる者正しき也(なり)。正(せい)大(だい)にして天地の情見る可(べ)し。
 彖伝は次のように言っている。大壮は大なる者(陽=君子・盛運・善)の勢いが、大いに盛んになる時である。「大という字は一と人から成る。一は天を意味し、天と人を重ねて人が天道を歩む意味になる(高島易断)」。すなわち大壮は、天の道を歩む君子(盛運・善)の勢いが大いに盛んになる時である。剛健(乾)にして動く(震)から陽(君子・盛運・善)の勢いが盛んになるのである。大壮は君子(陽・善)の勢いが小人(陰・悪)を駆(く)逐(ちく)して益々盛んになる時である。調子に乗ってやり過ぎる(傲(ごう)慢(まん)になったり強(ごう)引(いん)すぎたりする)と大失敗を招くので、常に正しい道(道德)を固く守るが宜しい。大なる者は正しい道(道德)を堂々と歩むのである。君子は正しく天の道(道德による継続)を歩み、天地の道理(永遠なる天地宇宙と生々化育する萬物の生命)をしみじみ悟(さと)るのである。

《大象伝》
象曰、雷在天上大壯。君子以非禮弗履。
○象に曰く、雷(かみなり)、天の上に在(あ)るは大壯なり。君子以て禮(れい)に非(あら)ざれば履(ふ)まず。
 大象伝は次のように言っている。雷(震)が天(乾)の上に在るのが大壮の形である。天の道(道德による継続)を歩む君子の勢いが益々盛んになる形である。
 君子はこの形に見習って、調子に乗ってやり過ぎないように自分の言行を抑制して、礼(調和)を乱すことにつながる考え方や行動は一切しないように己を慎むのである。

雷天大壮六五(澤天夬九五の之卦・爻辞)

《爻辞》
六五。喪羊于易。无悔。
○六五。羊(ひつじ)を易(さかい)に喪(うしな)う。悔(くい)无(な)し。
 六五は九四の時に開けた行き先の垣(かき)根(ね)である。六五は柔中の德を具えているので勇ましく進んで行く賢臣(九四と九二)に順う。だから、後悔することはないのである。

《小象伝》
象曰、喪羊于易、位不當也。
○象に曰く、羊を易(さかい)に喪(うしな)うとは、位(くらい)當(あた)らざれば也(なり)。
 小象伝は次のように言っている。六五は柔中の德を具えているので勇ましく進んで行く賢臣(九四と九二)に順うので、後悔することはない。君主の地位に在りながら柔順で、過ぎたるところがない正しさ(礼による調和)を貫くからである。