利を見て進み、害を見て退くは、衆人の情なり。即(すなわ)ち今の俗(ぞく)吏(り)、何を以(もつ)てか能(よ)く禁ぜん。且(か)つや大(たい)邑(ゆう)通(つう)都(と)の如(ごと)き、邸(てい)第(だい)官(かん)舎(しや)、甍(いらか)を連(つら)ね城を繞(めぐ)り、飛(ひ)閣(かく)天に接し、卿(けい)相(しよう)居(お)り、侯(こう)伯(はく)朝(ちよう)す。駟(し)を結び騎(き)を連(つら)ね、絡(らく)繹(えき)として斷(た)えず。𧏚(こく)撃(げき)肩(けん)摩(ま)、襟(えり)袂(たもと)幕(まく)をなす。俳優、雑(ざつ)劇(げき)、舞(まい)伎(こ)、侲(しん)子(し)の属(ぞく)より、以て使(し)熊(ゆう)狙(そ)工(こう)、支離、盲(もう)聾(ろう)の徒(と)に至るまで、視(み)る者堵(と)墻(しよう)の如(ごと)く、巫(ふ)覡(げき)の符(ふ)章(しよう)、浮(ふ)屠(と)の念(ねん)珠(じゆ)、乞(こ)ふ者踵(きびす)を接し、求む者趾(あし)を累(かさ)ね、糈(しとぎ)を積むこと山の如(ごと)く、賽(さい)銭(せん)土の如(ごと)し、これを居(お)く者は貢(みつぎもの)せず、これを賈(う)る者は征(せい)せず。異(い)服(ふく)をこれ識(し)らず、異(い)言(げん)をこれ察せず。市(いち)には波斯(ぺるしや)の觀(かん)を縦(ほしいまま)にし、府には金(きん)帛(ぱく)の美を積み、茶(ちや)肆(みせ)、酒(さけ)肆(みせ)、簷(のき)を接し、地に靑(あお)草(くさ)なき者、方(ほう)數(すう)十里。ここを以(もつ)て天下の民(たみ)、郷(さと)を去り國(くに)を去り、競(きそ)うてこれに歸(き)する者、猶(なお)蟻(あり)の羶(せん)に著(つ)くがごとく、日にその數(かず)を知らず。則(すなわ)ち人益(ます)〃(ます)多くして土益(ます)〃(ます)狭く、城(じよう)闕(けつ)の外(そと)、率(おおむ)ね歩(ほ)に一人を容(い)れず。これ皆末(すえ)を逐(お)ひ利に侔(つと)むるの徒(と)のみ。その耕(こう)織(しよく)して本(もと)を務(つと)むるの民(たみ)に至りては、則(すなわ)ち掃(そう)然(ぜん)として聞(きこ)ゆるなし。
利益が得られると思えば前に進み、被害を被(こうむ)ると思えば後ろに退くのは、民衆の感情である。そのことを、今の低俗な役人共が、どうして禁止することができようか。しかも、大きな村里や大都市においては、大きな屋敷や役人の宿舎が、瓦を連(つら)ねて。まるでお城のように立派な建物が軒(のき)を並べている。中には天に届くように高い建物も見られ、公(く)卿(ぎよう)が住んでいたり、諸侯(各藩主)の庁舎(お城)であったりする。公卿や諸侯は四頭の馬を車に結び従者を引き連れて、絶え間なく往来している。馬車と馬車がぶつかり合ったり、人の肩と肩がすれ合うほど混雑している。まるで、襟(えり)と袂(たもと)がすれ合い、すれ違う舞台を見ているようである。
河原乞食と呼ばれる俳優や通俗的な演劇、舞妓さんや幼児の類(たぐい)から、熊や猿を操る見世物師、あれもこれも、視覚障害者や聴覚障害者に至るまで、目につく人は人垣を築くように沢山である。神に仕えて祈祷や神おろしをする神官や僧侶の念仏に縋(すが)る人々は踵(かかと)を接するように集まり、神前に供えるお餅(糈(しとぎ))が山のように積み上がっている。また、お賽銭が土のように沢山寄せられる。これらを「蓄える(注)」神官や僧侶は貢ぎ物をしない。これで生計を立てている神官や僧侶からは「税を取り立てない(注)」のである。
「古は奇異の服をき、奇異の言をなすを禁じたが、(今はそれを)見て見ぬふりをしている(注)」。市(いち)場(ば)はペルシャのように「金銀・財宝・錦(にしき)・善(ぜん)馬(ば)等(注)」が沢山並び、役所(府)には美しい金や絹をまとった人が溢れている。街道には茶屋や酒屋が軒(のき)を並べ、雑草が刈り取られた街道が十里も続いている。以上のようであるから、天下国家の民衆の中には、郷土を捨て、藩を捨てて、競うように大きな村里や大都市に向かう人々が次から次に現れる。そのさまは、まるで蟻(あり)が生臭い肉に群(むら)がるようである。毎日どのくらいの人々が、郷土を捨て、藩を捨てて、大きな村里や大都市に向かうのか、数え切れないくらいである。
このようにして、大きな村里や大都市には人々が集まるので人口密度は増えて、お城から一歩外へ出ると、民衆が溢れかえっている。郷土を捨て、藩を捨てて、大きな村里や大都市に向かう人々は、みんな本末転倒の誤った考え方(目先の損得など枝(し)葉(よう)末(まつ)節(せつ)に囚われて、根本的に大事なこと=本質を置き去りにした考え方)で、私利私欲を追求している。田畑を耕したり、機(はた)を織るなど本来行うべき根本的に大事なことに務めている人々は、郷土や藩を捨てて、大きな村里や大都市に向かおうと考えてみたこともない。