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時の物語 周易六十四卦 校正 11

二十三.人事を尽くして天命を待つ時

 人間社会で織りなされる物語は悲(ひ)喜(き)交(こも)交(ごも)である。人や組織が盛運の中にある時には喜々として幸せを感じることが多いが、衰運の中にある時には悲嘆して不幸に陥ることが多い。今回の「人事を尽くして天命を待つ時」の物語は、衰運中の衰運の時である。何をやっても報われず悲嘆して絶望の淵に沈む時だが、絶望は希望を迎えるためにある。衰運でどん底まで落ちるから盛運の時を迎えることができる。どんな人や組織でも、希望さえ失わなければ、どん底から這い上がっていくことができる。どんな状況に追い込まれても、希望を捨てずにやるべきことをやる。それが「人事を尽くして天命を待つ時」である。

 「人事を尽くして天命を待つ時」の主人公は、大東亜戦争に敗れて以来、事実上国家主権を奪われ属国(経済植民地)から亡国(奴隷国家)への道を歩み続ける日本を取り戻すために希望を失わずにやるべきことをやり続けている「あなた(わたし)」である。

 わたしはもうすぐ前期高齢者の仲間入りをする。三十半ばまで公務員として勤めていたが、自己実現のため独立開業して個人事業を営んできた。独立開業してしばらくは公務員としての経験と人脈を活かして企業経営のお手伝いをしてきたが、今は日本に古くから伝わる古典の研究・啓蒙・執筆活動を生業としている。古くから伝わる古典の研究を始めたきっかけは四十代の始めに今は生涯の師匠として尊敬している先生の教えを受けたことにある。先生は戦後日本の教育に決定的に欠けている三つのことを教えてくれた。
 一つ目は「正しい日本の歴史を教えていない」こと。
 二つ目は「古くから伝わり生活の一部になった神仏について教えていない」こと。
 三つ目は「聖徳太子の時代から戦前まで根付いていた道徳について教えていない」こと。
 先生は今の日本に大変危機感を持っておられた。以下省略。

二十四.一陽来復する時

 人や組織の盛衰の循環を季節に当て嵌めると盛運の上限は夏至、衰運の下限は冬至である。夏至は盛運の上限であると同時に盛運の流れから衰運の流れに転ずる時、冬至は衰運の下限であると同時に衰運の流れから盛運の流れに転ずる時である。「一陽来復する時」は冬至の時に当て嵌まる。冬至の日のある時点まで衰運の(日照時間が短くなる)流れが続き、下限の到達すると一転して盛運の(日照時間が長くなる)流れに変わる。
 盛運の流れに変わっても(日照時間が長くなっても)、直ぐに温かくなるわけではない。まだまだ気候は寒くなる。すなわち盛衰の循環は最初は潜在的な流れとして現れるが、それが顕在化するまでには時間がかかる(日照時間が長くなっても、温かくなるまでには時間がかかる)。これが「一陽来復する時」である。

 「一陽来復する時」の主人公は、結婚相手に幸せになってもらうことを願って、良き習慣を身に付けるために毎日コツコツと努力を始めた「あなた(わたし)」である。

 わたしは生まれつき怠け者だ。昔から何をやっても長続きしたことがない。頭は悪くないので小中学校の成績は悪くなかったが、高校に入ると授業の内容も高度になり、また大学受験を視野に入れた勉強となるので、毎日コツコツと勉強することが必要になる。だがわたしは毎日コツコツやることができない。何をやっても直ぐに飽きて放り出してしまう。だから途端に成績が悪くなり合格できる見込みの大学がほとんどなくなった。高卒で就職したくなかったから、専門学校に入学したが卒業しても就職先がなくアルバイトを転々とした。今言うフリーターの走りである。フリーター生活は二十五歳まで続いたが両親から「いい加減に独り立ちしろ」と言われて、家を出てアパートを借り父親の知り合いが経営している地元の中小企業に中途採用してもらった。以下省略。