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人生を豊かにする論語意訳 抜粋 その十三

子(し)路(ろ)篇第十三

☆貝塚茂樹著「論語」には、次のように書いてある。
 顔淵篇に続いて、孔子が愛した弟子の子路との政治問答に始まる本篇三十章についても、特別の主題を見つけだすことはむつかしい。しかし、顔淵篇にもすでに兆候があらわれているが、政治的なものにたいする関心が高まり、政治的な問答が、學問論を圧倒してゆく形勢があきらかになっている。

子路第十三、第一章
子路問政。子曰、先之労之。請益。曰、無倦。
子路、政を問う。子曰く、「之に先んじ之を労す」。益を請う。曰く、「倦むこと無かれ」。
 子路が政治の要道(大切な方法・教え)を尋ねた。
 孔先生:「指導者が率先して行ない、國民を労(ねぎら)うことだ」。
(子路には、その答えが物足りなかったので、再び尋ねた。)
 子路:「もっと詳しく教えてください」。
 孔先生:「途中で投げ出すな!ということだ」。 2012

この章に出てくる重要な言葉(概念)
之を労す:人民の労苦をよくねぎらうこと(貝塚茂樹著「論語」)。

「之に先んじ之を労す」。言葉にすると簡単なことのようだが、これほど実践することが難しいことはないであろう。何事も自らが先頭に立って率先してやる。これができればどんな組織においても立派な指導者になることができる。しかし、単純な子路にはその難しさがわからなかった。そこで、孔子に尋ねる。「もっと詳しく言うと、どういうことですか」と。それに対して孔子は、さらにシンプルな言葉で答える。「倦むこと無し」。これもまた、言葉にすれば簡単なことのようだが、実際には、これほど難しいことはない。特に、熱しやすく冷めやすい子路には難しい。それゆえ、この言葉は、「グサッ」と子路の心に突き刺さったであろう。子路がもっとも苦手とするところを突かれたのである。
☆安岡正篤先生は、「論語に學ぶ」のなかで、次のように解説している。
 子路が政治についてお尋ねした。孔子言う。「先頭に立って骨を折ること、ねぎらうことである」。政治家というものは、何よりも先ず民衆の先頭に立って骨を折らなければいけない。そうして彼等をねぎらうことを忘れてはいけない。「もっとありませんか」。孔子はいつでも簡にして要を得た答えをされる。だから子路は時々、わからなかったり、簡単に考えたり、つまらなかったりする。この場合は民衆の先頭に立って骨を折るというのですから、子路にも少しわかる。わかるだけに「之に先んじ之を労す」だけではもの足らない。もう少し聞かせて欲しい。
 ところがそこは孔子でありまして、よく心得ております。「倦むこと無かれ」、途中で嫌になってはいかんと言われた。人間というものは、自分の思うようにならぬと、つい嫌になりがちであります。これは政治家に限らず、凡(およ)そ人に長たる者の常に注意しなければならぬことであります。
 われわれの夫婦生活、家庭生活にしてもそうです。ともすれば倦みがちであります。(中略)或いは學校へ行っても、學校に倦む。何か専門に勉強しても、時々専門が嫌になる。
 私自身を考えてみても、しじゅう倦む。ただ私は『論語』などを読んでおるものですから、自らこういう「倦むこと無かれ」というような語が頭に浮かんで来て、又やり直しただけである。そういう意味から言うても、人間というものはやはり教えが与えられておらぬといけない。教えが与えられておると、倦んだら倦んだで、そこに又予期せざる何かが与えられる。「倦むこと無かれ」という語は、極めて簡単なことのようだけれども、意味深淵というか、情理不尽というか、まことに味わいの深い言葉であります。

子路第十三、第二章
仲弓爲季氏宰、問政。子曰、先有司、赦小過、挙賢才。曰、焉知賢才而挙之。 曰、挙爾所知。爾所不知、人其舎諸。
仲弓、季氏の宰となり、政を問う。子曰く、「有(ゆう)司(し)を先にし、小(しよう)過(か)を赦(ゆる)し、賢(けん)才(さい)を挙(あ)ぐ」。曰く、「焉んぞ賢才を知りて之を挙げん」。 曰く、「爾の知る所を挙げよ。爾の知らざる所は、人其れ諸(これ)を舎(す)てんや」。
 仲弓が魯國の家臣である季氏のトップに就任したので、トップリーダーの心得を尋ねた。
 孔先生は、次のように答えた。
「まず、側近として誰を抜擢するかをよく考えることだ。小さな過ちや短所は大目に見て、優秀な人材を探しなさい」。
 すると、仲弓が尋ねた。
「優秀な人材を探すには、どうしたらいいでしょうか」。
 孔先生が答えた。
「先ず、お前が知っている人材の中から最も優秀な人物を抜擢しなさい。そうすれば、誰かが必ずお前が知らない優秀な人物を推薦してくるはずだ」。2012

「魯国の君主の下に重臣(卿・大夫)がいる。その重臣の筆頭が季氏。この季氏に多くの家臣がいるが、その長が宰。…魯の君主から見れば陪臣であるが、重臣の季氏を動かせるので、実質的には、魯国全体の中の有力者である」。(加地伸行著「論語」)
 仲弓の家庭は最下層に属していた。洗練された教養も身につけておらず、口の利き方も下手で粗野な印象さえ与えた(史記)」仲弓が、魯国の重臣の筆頭である季氏の宰(トップ)になったのだから大出世である。孔子はさぞかし嬉しかっただろう。