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ネコちゃん占い師の占筮日記327

十一月二十五日 火曜日 三十五.火地晋☲☷上九→之卦雷地豫☳☷上六

四時半に起床。

今日もマロンちゃんとみかんちゃんとわたしが政治について占筮する。

マロンちゃんが卦辞・彖辞の解釈、みかんちゃんが大象伝と高島嘉右衛門の占断の解釈、わたしが爻辞と高島嘉右衛門の占断の解釈を担当する。

本日は「未だにマスメディアに登場し続ける左巻き評論家は今後淘汰されるか」を占筮したところ火地晋☲☷上九が出た。

ネコちゃん占い師とわたしは次のように占断した。

マロンちゃんが卦辞・彖辞を解釈して次のように断じた。

○晉(しん)は、康(こう)侯(こう)用(もつ)て馬を錫(たてまつ)ること藩(はん)庶(しよ)なり。晝(ちゆう)日(じつ)に三(み)たび接す。

晉は日(離)が地(坤)上に出て、明智・明德(離)で大地(坤)を照らし、大地(坤)はその光と熱を(離)を柔順に受け容れ萬(ばん)物(ぶつ)が生成する時。明德の(無我の境地で下々を思いやる)トップ六五の下、諸(しよ)侯(こう)(地域や部署のリーダー六三)が柔順に国(社会や組織)を治めるので、トップが馬を諸侯(地域や部署のリーダー)に賜り(或いは諸侯が馬をトップに献上して)、諸侯は一日三回もトップを礼(らい)拝(はい)またはトップに拝謁(謁見)するほどまでに出世して、治国平天下を実現する。

マロンだニャン。火地晋☲☷は良い時だが、左巻き評論家には当て嵌まらないので、上爻の陰陽転じた之卦雷地豫☳☷を読み取ることにするニャン。
○豫(よ)は、侯(きみ)を建(た)て師(いくさ)を行(や)るに利(よろ)し。(之卦雷地豫☳☷の卦辞・彖辞)

豫は悦び楽しむ時である。一陽九四に五陰が順い動く。地中に潜蔵していた陽気が雷動(春雷)で地上に出て、草木は芽を出し、花が咲き、天地萬物悦楽する。喜び楽しむ豫の時は、側近に任せて組織を運営するが宜しい。側近は部下や民衆を悦楽させ、組織に対する反逆を制圧する。以上のことから、豫とは寛裕で事前に準備するから悦び楽しむことであるが、悦び楽しむことが行き過ぎると、遊び、乱れるという意味になる。

雷地豫☳☷は「悦び楽しむ時」だが、卦辞・彖辞には「悦び楽しむことが行き過ぎると、遊び、乱れるという意味になる」とある。よって、戦後、GHQの洗脳工作を担ってきたマスメディアや左巻き評論家は、「悦び楽しむ時」を謳歌してきたが、GHQの洗脳が期限切れになりつつある今、その存在は崩れ乱れて淘汰されていくニャン。

みかんちゃんが大象伝と高島嘉右衛門の占断を解釈して次のように断じた。

○象に曰く、雷の地を出でて奮(ふる)うは豫なり。先王以て樂を作り德を崇(たつと)び、之を上帝に殷(いん)薦(せん)し、以て祖考を配す。

地(ち)中(ちゆう)に潜(せん)蔵(ぞう)していた陽気が雷(らい)動(どう)により地上に奮(ふる)い出て雷(らい)鳴(めい)轟(とどろ)くのが豫の形。昔の王様はこの形に倣(なら)って音楽を制作して德を尊(そん)崇(すう)し、天の神を祭る際に祖先(亡父を含む)を合(ごう)祀(し)したのである。

祖先をお祀りするのは尊崇の極みだが、祭祀を過度に華やかに行うと、遊びや楽しみの極みとなるから自戒しなければならない。雷地豫は全体としては良い言葉が掛けられているが爻の言葉は良くない。豫楽が過ぎて組織が乱れた姿が垣間見られる。
☆万事、自分がおもっている通りになり心の思うままに何事も調和する。一つ一つのことが楽しくて仕方がない。そのような時だから知らず知らずのうちに怠る気持ちが心の中に芽生えて、少しずつ、少しずつ、崩れかねない時。

みかんだニャン。大象伝には「祭祀を過度に華やかに行うと、遊びや楽しみの極みとなるから自戒しなければならない」とある。これまで「過度に華やか」であったマスメディアに登場する左巻き評論家はそれそろ自戒しなければならない時期が到来したということだニャン。高島嘉右衛門の占断には「怠る気持ちが心の中に芽生えて、少しずつ、少しずつ、崩れかねない」とある。左巻き評論家がいっせいにマスメディアから淘汰されるのではなく、少しずつ、少しずつ淘汰されていくに違いないニャン。

わたしが爻辞と高島嘉右衛門の占断を解釈して次のように断じた。

※第六段階の「小さな物語」長期間豫楽に耽(たん)溺(でき)する
○上六。冥(めい)豫(よ)す。成(な)れども渝(かわ)る有れば、咎(とが)无し。

貴方は豫(よ)楽(らく)の極(きよく)点(てん)で長期間豫楽に耽(たん)溺(でき)しているので、健全な心を喪失してしまった。豫楽が極(きわ)まれば悲哀に変ずる天理を知らない愚(おろ)か者である。豫楽に耽(たん)溺(でき)している己の愚かさを覚(さと)り、心を入れ替えれば、更生することができる。
☆悦楽に耽(ふけ)り酒(しゆ)色(しよく)に溺れ、恥じることがなければ終には死に至る。酒色を節制して淫(いん)欲(よく)を慎む心があれば、心身共に健全を保つことができる。

雷地豫☳☷上六は「豫楽に耽(たん)溺(でき)する」時。まさしくマスメディアに頻繁に登場してきた左巻き評論家にピッタリ当て嵌まる。爻辞には「豫楽が極(きわ)まれば悲哀に変ずる天理を知らない愚(おろ)か者」とあり、これまたピッタリ当て嵌まる。高島嘉右衛門の占断には「恥じることがなければ終には死に至る」とあり、豫(よ)楽(らく)の極(きよく)点(てん)で長期間豫楽に耽(たん)溺(でき)してきた左巻き評論家が淘汰されていくことを示している。