五十二.五(ご)蘊(おん)皆(かい)空(くう)と照(しよう)見(けん)する時
五(ご)蘊(うん)とは「色(しき)受(じゆ)想(そう)行(ぎよう)識(しき)」である。「色(しき)受(じゆ)想(そう)行(ぎよう)識(しき)」とは、目に見える現象(色)を受け容れ(受)、いろいろ思って(想)行動して(行)認識する(識)ことである。その五(ご)蘊(うん)は皆(かい)空(くう)である。「皆(かい)空(くう)」とは、一時的な迷いであり本質は何もないこと。「照(しよう)見(けん)」とは、そのことに気付くこと。すなわち「五(ご)蘊(おん)皆(かい)空(くう)と照(しよう)見(けん)する時」とは、目に見える現象(色)を受け容れ(受)、いろいろ思って(想)行動して(行)認識する(識)ことは、一時的な迷いであり本質は何もないことに気付くことだ。自分の周りで何かが起こって動揺することがあったとしても、それは一時的な迷いだから気にすることはないのである。
「五(ご)蘊(おん)皆(かい)空(くう)と照(しよう)見(けん)する時」の主人公は、何かにつけて動揺することが多い自分を精神的に強くしようと禅寺で四泊四日の基本修行を体験した「あなた(わたし)」である。
わたしは一人っ子で甘やかされて育ったせいか、何かにつけて動揺し、学校でも社会に出てもおどおどしていた。こんな自分が嫌いで自己嫌悪に陥っていたが、もっと精神的に強くなりたいと思うようになり、禅寺で修行をしようと決心した。本格的な修行は何年もかかるので仕事をしながらでは無理だ。長期間の修行には到底耐えられない。禅の基本を学ぶ四泊四日の研修を受けることにした。研修の内容は朝五時に起床して軽く体操してから坐禅を組みお経を読んで掃除をする。それから朝食(お粥)を頂き、作務(農作業等)、坐禅、昼食、休憩後、作務と坐禅をして夕食を頂き、法話を聞いてまた坐禅を組み、二十二時に消灯、この内容を四泊四日で行う。
わたしは一週間休暇を取って修行の前日に禅寺に向かった。お寺に入ると参加者は十名くらい。みんな不安そうだ。わたしも不安ではち切れそうだったが、案内してくれた修行僧が優しそうな人だったので一寸安心した。指導僧の話を聞き、就寝時間になると女性は個室に、男性は大部屋に案内された。明日から修行が始まるので、みんな緊張した面持ちで自己紹介など軽くして就寝した。四泊四日とはいえ、明日からの修行に付いていけるか考えると不安になってなかなか眠れなかった。翌朝五時になると「トントントン」と木を打つ大きな音で目が覚めた。いよいよ修行が始まったのだ。作務衣に着替えて外に出て変な体操(後で太極拳だと分かった)をした。身体が温まってくると気合いが入ってきた。いよいよ坐禅の時間がやってきた。坐禅の仕方と心構えを教わり、その後三十分弱の坐禅をした。はじめての坐禅なので坐禅の形を作ることができない。畳の生活をしたことがなかったので、畳の上に胡座のような形で坐ることすらできない。指導僧に手取り足取り教えてもらい何とか坐れるようになったが、足が痛くてたまらない。最初から最後まで足の痛さを我慢してようやく時間になった。以下省略。