毎日連載! 易経や易占いに関する情報を毎日アップしています。

四季と易経 その七十九

鱖魚群(さけのうおむらがる)(七十二候の六十三候・大雪(たいせつ)の末候)

【新暦十二月十七日ころから二十一日ころまで】
 意味は「鮭が群がり川を上る(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 鮭が産卵のために、川を遡っていくころ。鮭は川の上流で生まれ、まだ十センチにも満たないころに海へ出ていきます。数年かけて大きく成長した後、秋から冬にかけて生まれた川へ戻るのです。産卵場所を求めながら大群で川を遡上し、産卵、受精を終えると力尽きて死んでしまう。

 「鱖魚群(さけのうおむらがる)」は、易経・陰陽消長卦の「坤為地」上六に中る。次に「坤為地」上六の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「坤為地」上六の言葉は【新暦十二月十七日ころから二十一日ころまで】に当て嵌まる。

坤為地上六(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
上六、龍野于戰、其血玄黄。
○上(じよう)六(りく)、龍(りゆう)野(や)に戰(たたか)う。其(そ)の血玄(げん)黄(おう)なり。
 陰德を積むべき坤の君子(雌馬)が勢い余って龍(雄馬)のように振る舞うようになった。こうなると乾の君子(雄馬)が黙っていない。「坤(陰)が乾(陽)の役割を果たすことはまかりならぬ」と、乾の龍(乾の天子)と坤の龍(坤の天子)が決闘する。乾の天子と坤の天子が決闘すれば、(陽の)黒い血と(陰の)黄色い血を流して、共に傷付き破滅する。

《小象伝》
象曰、龍野于戰、其道窮也。
○象に曰く、龍野に戰うは、其の道窮まれば也。
 小象伝は次のように言っている。乾の龍と坤の龍が決闘するのは、雄馬(陽)に順う雌馬(陰)の道(乾の根源的なパワーを受容する陰の存在意義)も、雌馬(陰)に尊崇される雄馬(陽)の道(坤に全面的に受け容れられて萬物を創造を始動する陽の存在意義)も、共に行き詰まって、天地創造の原理原則を逸脱しようとしているのである。

 「坤為地」上六の之卦は「山地剝」である。次に「山地剝」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「山地剝」上九の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「坤為地」の上六と同じく【新暦十二月十七日ころから二十一日ころまで】に当て嵌まる。

山地剝(坤為地上六の之卦)

《卦辞・彖辞》
剝、不利有攸往。
○剝(はく)は往(ゆ)く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。
 剝は陰気が増長して盛んになり陽気を押し出す(一陽五陰の)時。下から漸次に長じてきた陰氣が浸食する力に山が剝ぎ落とされて平地になる(下流・中流・上流の一部が皆、腐敗・堕落してしまい、極めて少数の上流階級の人だけが道を守っている)ように、君子(陽爻)が小人(陰爻)に(一陽五陰まで)追い詰められてしまった。
 人事に当て嵌めた場合、このような陰陽消長の流れの中で、君子(極めて少数の上流階級の人や人格者)は積極的に行動してはならない(積極的に行動すればあっという間に追い詰められる)。陰氣が浸食する時勢に順い止(とど)まって、様子を窺(うかが)うべきである。

《彖伝》
彖曰、剝剝也。柔變剛也。不利有攸往、小人長也。順而止之。覿象也。君子尚消息盈虚。天行也。
○彖に曰く、剝は剝(は)ぐ也。柔剛を變(へん)ずる也。往(ゆ)く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず、小人長ずれば也。順にして之(これ)に止(とど)まる(之を止める)。象を覿(み)る也。君子は消(しよう)息(そく)盈(えい)虚(きよ)を尚(たつと)ぶ。天(てん)行(こう)也(なり)。
 彖伝は次のように言っている。剝とは剝ぎ落とすこと。陰柔の勢いが盛大になり(下流・中流・上流の一部に及び)、陽剛(極めて少数の上流階級の人)を剝ぎ落とすのだ。陰柔が漸(ぜん)次(じ)に進み、陽剛を変じて陰柔に化するの(一陽五陰の時)である。
 下から漸次に長じてきた陰氣が浸食して山が剝ぎ落とされ平地になるように、君子が小人に追い詰められている。このような陰陽消長の流れの中で、君子(極めて少数の上流階級の人や人格者)は積極的に行動してはならない(積極的に行動すればあっという間に追い詰められる)。時勢に順い止まって様子を窺うべきである。
 小人の勢いが甚(はなは)だ増大しているからである。下卦坤の性質は順・上卦艮の性質は止である。君子(極めて少数の上流階級の人や人格者)はこの卦象を観(み)て、宜しく時に順い止まる〔或いは、陰柔を止める〕のである。君子(極めて少数の上流階級の人や人格者)は陰陽消(しよう)息(そく)〔隆盛と衰退〕盈(えい)虚(きよ)〔充実と空虚〕の理法を尊重・順応し、進むべき時には進み、退くべき時には退く。陰陽消(しよう)息(そく)盈(えい)虚(きよ)の循環は、天地自然の運行である。

《大象伝》
象曰、山附於地剝。上以厚下安宅。
○象に曰く、山(やま)地に附(つ)くは剝なり。上以て下を厚くし宅(たく)を安(やす)んず。
 大象伝は次のように言っている。高く聳(そび)え立つ山が剝(はく)落(らく)して大地にへばりついている(下から漸次長じてきた陰氣が浸食する力に山が剝ぎ落とされて平地になる)のが剝の形である。人の上に立つ者は、この形を陰陽消(しよう)息(そく)盈(えい)虚(きよ)の循環だと心得て、君子たる己は質素倹約に努め、小人たる下(しも)々(じも)には厚く施(ほどこ)して、自分(君子)の地位を安定させるのである。

山地剝上九(坤為地上六の之卦・爻辞)

《爻辞》
上九。碩果不食。君子得輿、小人剝廬。
○上九。碩(せき)果(か)食われず。君子は輿(くるま)を得、小人は廬(ろ)を剝(はく)す。
 上九の君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)は一陽(君子)が五陰(小人)の上に在るから大きな果物に喩(たと)えることができる。衆陰がこれを食べようとするが、超然と山頂に隠居している上九の君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)は、小人の姦(かん)謀(ぼう)の及ぶところではない。如(い)何(か)に世が乱れ、小人が蔓延(はびこ)っても、正義の種は亡びることなく、何時かはまた勢いを得るのが天理である。
 乱が極まれば民は泰平を願うので、上九の君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)は民に崇(あが)められ、大きな車の上に載せられる。君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)は小人を覆(おお)い庇(かば)う屋根のような存在だから、小人が君子を剝(はく)落(らく)すればさらに世は乱れ、小人も安(あん)閑(かん)としていられなくなるのである。

《小象伝》
象曰、君子得輿、民所載也。小人剝廬、終不可用也。
○象に曰く、君子は輿(くるま)を得とは、民(たみ)の載(の)せる所(ところ)也(なり)。小人は廬(ろ)を剝(はく)すとは、終(つい)に用(もち)う可(べ)からざる也。
 小象伝は次のように言っている。上九の君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)は民(たみ)に崇(あが)められ、大きな車の上に載せられる。天下泰平を願う多くの民が推(お)し戴(いただ)いて、上九の君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)を車に載せるのである。
 小人が君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)を剝落すればさらに世は乱れ、小人も安(あん)閑(かん)としていられなくなる。天の運行は循環して必ず正しい道に復(かえ)るので、小人が君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)を陥(おとしい)れても、終(つい)にはその姦(かん)謀(ぼう)を遂(と)げることはできないのである。