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抜粋「現代語訳(超意訳) 呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 上下巻 占例篇」 風山漸 二

2022年8月24日

漸 九三 ||・ |・・

九三。鴻漸于陸。夫征不復。婦孕不育。凶。利禦寇。
□九三。鴻(こう)、陸(くが)に漸(すす)む。夫(おつと)征(ゆ)きて復(かえ)らず。婦(つま)孕(はら)みて育(いく)せず。凶。寇(あだ)を禦(ふせ)ぐに利(よろ)し。
 大きな雁(かり・がん)(鴻(こう))が大きな岩から小高い平原に飛んで来た。正応なく独断でどんどん進み、比する六四と不義に交わり帰って来ない。六四は九三の妻となり子供を産むが、不義の交わりなのでちゃんと育てることができない。何をやっても失敗する。不義の相手六四と交わることなく、自分の居場所に安んじているがよい。
象曰、夫征不復、離群醜也。婦孕不育、失其道也。利用禦寇、順相保也。
□夫(おつと)征(ゆ)きて復(かえ)らずとは、群(ぐん)醜(しゆう)を離るる也。婦(つま)孕(はら)みて育(いく)せずとは、其道を失ふ也。用て寇(あだ)を禦(ふせ)ぐに利(よろ)しとは、順にして相(あい)保(たも)つ也。
 六四と不義に交わり帰って来ない。下卦の仲間である初六と六二を見捨てたのである。六四は九三の子供を産むが、ちゃんと育てることができない。漸(ぜん)次(じ)に進む道に背いたのである。不義の相手と交わらず、自分の居場所に安んずるがよい。漸次の正しい道に順えば、自分も仲間も安らかさを保つことができるのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)己レノ立身ヲ急ニシテ、朋友ノ信誼ヲ缼キ漸進ノ德ヲ失フ者トス、然レドモ既往ハ咎ム可ラズ、能ク自ヲ守リテ過剛ノ失ヲ愼ミ讒者ノ害ヲ防ギ、柔順ニシテ我身ヲ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)自分の立身出世を急ぐあまり、朋友からの信頼を失う。自らの身を修めて前に出ず、慎みの德をよく守り、周りの人々から非難されないように柔順であることを大切にするべき時である。
○賢人だが苦労が多い。凶運ゆえ、災難に遭遇して進退ままならない。自分と敵対する人物がいる。その人物を憎むと、さらに苦労することになる。それゆえ「寇(あだ)を禦(ふせ)ぐに利(よろ)し。不義の相手六四と交わることなく、自分の居場所に安んじているがよい」と云う。凶運の中に居て、何事にも慎み深く対処すれば、やがては、大きな利益が得られる。
○善良な友達を裏切って、功を貪(むさぼ)ろうとする。
○時流に乗って立身出世を急ぐ人物は、義理を捨てて、愛を失うから、孤立する。それゆえ、自分の身は更に危なくなる。
○夫婦が不和になる時。 ○流産の危険が在る時。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)余在因ノ時、吟味役和田十一郎ト云フ者アリ、一日突然來リ、余ニ謂テ曰ク、請フ吾身事ヲ筮セヨト、余心ニ前占(此ヨリ先キ吾身ノ運氣ヲ占シテ、艮ノ第五爻ヲ得タルヲ謂フ、事ハ需ノ第三爻ノ下ニ附載ス、)ヲ思ヒ、諾シテ之ヲ占スルニ、漸ノ第三爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)わたしが牢獄に入っている時、吟味役の和田十一郎と云う人が居た。ある日突然わたしのところに来て、自分の身上を占ってほしいと頼まれた。わたしは心の中で牢獄に入っている時の占例(わたしの運氣を占って艮の五爻を得たことを、需の三爻のところで掲載した)を思い了解して、筮したところ漸の三爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 爻辞の「夫(おつと)征(ゆ)きて復(かえ)らず」とは、貴方が出世することを意味している。「婦(つま)孕(はら)みて育(いく)せず」とは、奉行が退職することを意味している。小象伝には「夫(おつと)征(ゆ)きて復(かえ)らずとは、群(ぐん)醜(しゆう)を離るる也。婦(つま)孕(はら)みて育(いく)せずとは、其道を失ふ也。」とある。すなわち、ある日突然奉行が退職して、貴方が奉行に昇進する。しかし、その昇進は条件付きとなる。爻辞に「寇(あだ)を禦(ふせ)ぐに利(よろ)し。自分の居場所に安んじているがよい」と云い、小象伝に「用て寇(あだ)を禦(ふせ)ぐに利(よろ)しとは、順にして相(あい)保(たも)つ也。自分の居場所に安んずるがよい。漸次の正しい道に順えば、自分も仲間も安らかさを保つことができるのである」とあるからだ。
 つまり、貴方は奉行の代理的地位に昇進すると易断した。
 和田氏は、「意味は理解できるが、当たらないと思う。もし、その易断が的中したならば、わたしはあなたを赦免してもよい」と云った。数ヶ月後、易断の通り奉行は退職した。その後を継いだのは清水奇太郎と云う人物で、和田氏は奉行並という奉行の代理的地位に付いた。そして、和田氏は清水氏を説得してくれたので、わたしの刑期は五十ヶ月から二十ヶ月に減刑された。「赦免してもよい」という約束を守ってくれたのである。