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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その二一

然(しか)りといへども僻(へん)邑(ゆう)寒(かん)郷(きよう)の俗(ぞく)の如(ごと)き、猶(なお)或(あるい)は古(こ)質(しつ)の風(ふう)を存(そん)し、官を怖(おそ)れ法を畏(おそ)るれば、則(すなわ)ち尚(なお)未(いま)だ甚(はなは)だしとなさず。都(と)下(か)群(ぐん)衆(しゆう)の民(たみ)に至りては、則(すなわ)ち王公を軽蔑(けいべつ)し、士(し)人(じん)を威侮(いぶ)し、これを視(み)ること嬰(えい)児(じ)の如(ごと)く、以(もつ)てその貨(か)財(ざい)を竊(ぬす)み、以(もつ)てその妻(さい)孥(ど)を掠(かす)め、詿(かい)誤(ご)以(もつ)て智と稱(しよう)し、劫(こう)略(りやく)以(もつ)て勇と稱(しよう)し、徒(と)をなし黨(とう)をなし、以(もつ)て自ら名號(めいごう)を樹(た)つるに至る。官の制する能(あた)はざる所、法の罰する能(あた)はざる所なり。還(かえ)ってこれに力を假(か)して、以(もつ)て他(ほか)の盗賊を追(つい)捕(ほ)せしめ、またこれが謀(はかりごと)を用ひ、以(もつ)て他(た)の暴徒を制す。則(すなわ)ち彼(かれ)自(みずか)らその官の為(ため)にするを誇りて、愈〃益〃(いよいよますます)天下の民を侵(しん)侮(ぶ)す。なんぞその賊(ぞく)に兵を借(か)し、盗(とう)に糧(かて)を齎(もたら)すの比(ひ)に非(あら)ざるを知らんや。歎(たん)ず可(べ)きの甚(はなは)だしきなり。また名づけて處(しよ)士(し)と稱(しよう)し、市(し)井(せい)の間(あいだ)に僑(きよう)居(きよ)し、技(わざ)を以(もつ)て生(せい)を為(な)し、財を以(もつ)て自(みずか)ら售(う)り、而(しか)してその身を榮(ほまれ)にする者あり。又名づけて浮屠(ふと)と稱(しよう)し、店を假(か)り場を開き、房(ぼう)を賃(にん)じ席を設(もう)け、鰥(かん)寡(か)を誘導し、以(もつ)てその生を治(おさ)むる者あり。また名づけて巫(ふ)祝(しゆく)と稱(しよう)し、屋(おく)を構(かま)へて祠(ほこら)となし、壇(だん)を設(もう)けて廟(びよう)に代(か)へ、呪(じゆ)詛(そ)して賽(さい)を納(い)れ、買卜(ばいぼく)して糈(しよ)を求め、以(もつ)てその家を成(な)す者あり。この數(すう)者(しや)は、治(ち)世(せい)必(ひつ)有(ゆう)の人にして、郷里の崇(たつと)ぶ所、小(しよう)民(みん)の尚(たつと)ぶ所、固(もと)より益(えき)なしとなさざるなり。しかれども彼(か)れ自(みずか)らその身を處(しよ)する、一は以(もつ)て士(し)となし、一は以(もつ)て浮屠(ふと)となし、一は以(もつ)て巫(ふ)祝(しゆく)となし、出(い)づるに令(れい)長(ちよう)の教(おしえ)を受くるなく、處(よ)るに編(へん)戸(ど)の籍(せき)に列(れつ)することなし。

 そうはいっても、辺境の村々や極寒の郷土の風俗は、この乱れた世の中にあって、今なお、昔ながらの慣習を守っている。また、役人には素直に従い、法律・規則を遵守している。まだまだ日本も捨てたものではない。
 しかし、都市に暮らしている民衆となると、何ともはや、皇室や朝廷を尊崇する気持ちの欠(かけ)片(ら)もなく、武士には面(めん)従(じゆう)腹(ふく)背(はい)している。何とまぁ赤(あか)子(ご)のように愚(おろ)かである。しかも、隙あらば他人の財産を不正に奪い、その妻子を掠め取り、他人を欺(あざむ)いたり騙(だま)したりする人を賢い人だと吹(ふい)聴(ちよう)する。詐欺師を勇気ある人物と評価して、荒くれ者を集めて悪党を結成する。以上のような人物が名声を得ることになるのであるから、何ともはや、日本も終わりである。
都市に暮らしている荒くれ者を、役所や役人は制禦することができない。法律や刑罰で荒くれ者を制御することができないのである。むしろそれを逆(さか)手(て)にとって、悪を以て悪を制するが如く、荒くれ者を岡っ引きに任命して盗賊を捕まえさせたり、荒くれ者の悪(わる)知(ぢ)恵(え)を活用して、盗賊が暴徒と化さないように制禦したりする。しかし、それは一種の詐欺的行為であって、いよいよもって、ますます天下の民衆を見下げることになる。どうして、荒くれ者の悪(わる)知(ぢ)恵(え)を活用したりすれば、「盗賊に兵隊を貸し与え、食糧を支給する(盗賊に便利を与える意・注)のに等しい」ことを知らないのであろうか。全くもって嘆(なげ)かわしいことである。仕官しない浪人の如(ごと)き無(ぶ)頼(らい)漢(かん)は、自らを「處(しよ)士(し)」と称して、民衆の中に潜(もぐ)り込んで生活し、それぞれの得意技を生かして生計を立て、商売を始めて財産を手に入れ、自らを売り込んで、名誉を得る人すら現れる。
 また、無(ぶ)頼(らい)漢(かん)の中には、自分を僧侶と称して、家を借りて妖(あや)しげな店を開き、閨(けい)房(ぼう)(小さな寝室)を設けて、寡婦者(やもめもの)を集め、お金を取って生計を立てている人もいる。また、自分を神(しん)職(しよく)(神につかえる者)と称して、簡易な祠(ほこら)を作って祭壇(さいだん)を設置し、お社(やしろ)に見立てて祝(のり)詞(と)を唱(とな)え、お賽(さい)銭(せん)を集めて財を成し、占いを立てて食糧を手に入れ、名声を得ている人もいる。僧侶や神職は世の中を治めるためには必要で有意な存在であり、郷里の中で大切にされ、庶民に尊(そん)崇(すう)されるべき存在であるはずなのに、このような無頼漢が僧侶や神職と称して庶民を騙(だま)すようでは、百害あって一利なしである。けれども、無(ぶ)頼(らい)漢(かん)どもは、自らやりたい放題をしている。ある人は、自分勝手に「處(しよ)士(し)」を、ある人は「僧(そう)侶(りよ)」を、ある人は「神(しん)職(しよく)」を名のり、役人の教えを聴こうともせず、暮らしている村落で戸籍を取得することはない。