毎日連載! 易経や易占いに関する情報を毎日アップしています。

山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その十五

 身を殺して仁を成すは、君子の辭(じ)せざる所なり。今それ文の照照(しようしよう)たる者は、禮樂(れいがく)より大なるはなし。しかるに輓(ばん)近(きん)鄙(ひ)陋(ろう)の俗(ぞく)、乃(すなわ)ちいふ人情に近からずと。冠婚葬祭(かんこんそうさい)、或(あるい)はその目を知らず。琴(きん)瑟(しつ)竽(う)笙(しよう)、或(あるい)はその器(うつわ)を見ず。國(くに)に養老(ようろう)の禮(れい)なく、郷(ごう)に飲酒の法なし。綴(てい)兆(ちよう)舞(ぶ)佾(いつ)、且(か)つその何物(なにもの)たるを知らず。則(すなわ)ち先王(せんおう)の衣(い)冠(かん)文(ぶん)物(ぶつ)も、またなんぞその何の爲(ため)に設(もう)けたるかをしらんや。蒙昧(もうまい)ここに至り、再び草莽(そうもう)に復(かへ)る。ただ人は制なかるべからず、また儀(ぎ)なかるべからざるなり。則(すなわ)ち私(し)智(ち)妄(みだ)りに作(おこ)り、此(ここ)を以(もつ)て彼(かれ)に易(か)へざる能(あた)はず、而(しか)して夷(い)禮(れい)ここに於(お)いてか起(おこ)る。臂(ひじ)を横たへ肩を脅(そびや)かし、驕(きよう)傲(ごう)の容(よう)にして、以(もつ)て朝廷の間(あいだ)に跋扈(ばつこ)し、淫(いん)哇(あい)殺(さつ)伐(ばつ)、靡(び)嫚(まん)の伎(ぎ)にして、以(もつ)て廟(びよう)堂(どう)の上に踊躍(ようやく)す。彼のいはゆる淫(いん)樂(らく)禮(れい)を瀆(けが)し、先王(せんおう)の朝(ちよう)に容(い)れられざる者、公然天下の經(けい)となる。小民(しようみん)その間(あいだ)に生れて、目に一丁(いつてい)を知らざる者、これを以(もつ)て美(び)觀(かん)となす、固(もと)より怪(あや)しむに足らざるのみ。かの稍〃(しようしよう)事情を知り、國家の職に與(よ)る者の如(ごと)き、宛然(えんぜん)そのかくの如(ごと)きを見んか、恥(はじ)たるこれより甚(はなは)だしきはなし。文を尚(たつと)ばざるの弊(へい)、寧(むし)ろここに至るか。且(か)つその武を尚(たつと)ぶとなす者も、吾(われ)また未(いま)だ然(しか)りとなさざるなり。それ官(かん)の文武を分(わか)つは、その相(あい)兼(か)ぬべからざるを以(もつ)てなり。譬(たと)へば牛と馬との如(ごと)し。馬は能(よ)く遠きに致(いた)し、牛は能(よ)く重きに任ず。性(せい)蓋(けだ)ししかりとなす。若(も)し馬をして重きに任じ、牛をして遠きに致さしめんか、皆その堪(た)えざる所なり。
 
 孔子は「身を殺して以(もつ)て仁を成すこと有り。/(君子は、)人や社会を守るために自分の命を賭けて立ち向かうこともある。(論語・衛(えい)霊(れい)公(こう)第十五)」と云っている。君子の君子たる所以である。
 文化・文芸の中で世の中を明るく照らすのは、礼(れい)楽(がく)制度をおいて他にない。けれども、最近では、卑しく下品な風俗が蔓延(はびこ)り、社会に悪影響を及ぼしている。冠婚葬祭を正式な礼儀作法で行わない人々が増えている。礼楽制度を支える大型の琴や竽(ふえ)や笙(しよう)などの楽器を用いた音楽を正式に習う人々も減っている。
 老人を敬い養う気風がなくなり、地域のお祀りなどで地元の人々がお酒を酌(く)み交わす礼も見られなくなった。神楽(かぐら)で行う神楽(かぐら)舞(まい)も、伝統的な意味合いが薄れて、形式的になっている。先(せん)王(おう)(歴史に残る王さま)が制定した「衣裳と冠(かんむり)(地位や階級を示す)」の制度も、「学問・芸術・宗教」など文化に関する制度も、何のために制定されたのか、誰も知らないのである。無知蒙昧もここに至れば、まるで縄文時代に退化したようである。
 人間社会においては、規範としての制度を定めることが必要で、礼儀作法も整えておく必要がある。それらが整っていなければ、各自がそれぞれの判断で物事を行い社会が乱れるからである。一方、「窮すれば変ずる」と云われるように、物事が行き詰まれば、道理を究めて問題に対処するための智恵が働き、一度定めた制度や礼楽制度を見直して、時局に応じた正しい規範を整備することもできる。
 今の朝廷には、肘(ひじ)を付いて身体(からだ)を横たえ、肩を聳(そびや)やかして人を脅す驕り高ぶった人物が入り込んでいる。また、淫らな声色で悪事を企む美女が、朝廷の中で暗躍(あんやく)している。礼(らい)記(き)に「世乱るれば礼けがれて楽みだらなり。ここを以て君子これを賤(いや)しむ」とある(注)ように、淫(みだ)らな悪女が礼楽制度を貶(おとし)めて、先(せん)王(おう)(歴史に残る王さま)なら遠ざけた悪女が公然と朝廷に入り込んで大きな顔をしている。庶民は悪女の美貌に騙(だま)されて、淑(しゆく)女(じよ)が朝廷で重用されていると思い込み、誰も疑おうとしない。
 天下国家に尽くそうと考えている役人が、このように悪女が公然と朝廷に入り込んで大きな顔をしている様子をはっきりと目の当たりにしたら、恥辱に耐えられない。文化や文芸を尊(たっと)ばないことの弊害はこのような状況にまで及ぶ。役人の役割を文官と武官とに分けるのは、文官と武官を兼ねることは難しいからである。
 文官と武官の違いを例えると、牛と馬の違いのようである。馬は遠くまで走って移動することが得意であり、牛は重い物を乗せて運ぶことが得意である。性質が全く異なる。
 もし、馬に重い物を乗せて運ぼうとしても、牛に乗って遠くまで移動しようとしても、うまくいくはずがない。

 今それ文に任ずる者、學ぶ所は詩(し)書(しよ)禮(れい)樂(がく)なり。故(ゆえ)にその人と爲(な)りや、温(おん)柔(じゆう)敦(とん)厚(こう)、慣れて以(もつ)て德を爲(な)す。これを大にしては則(すなわ)ち卿(けい)相(しよう)、これを小にしては則(すなわ)ち府吏(ふり)、蓋(けだ)しその能(のう)なり。たとひそれをして堅(けん)を被(こうむ)り鋭(えい)を執(と)り、師(し)旅(りよ)の間(あいだ)にあらしむるも、またいづくんぞ賁育(ほんいく)の功(こう)を見んや。その武に任ずる者の若(ごと)きは、執(と)る所は矛(む)楯(じゆん)鈇(ふ)鉞(ゑつ)、故(ゆえ)にその人となりや、威(い)猛(もう)精(せい)烈(れつ)、習(ならい)以(もつ)て性(せい)となる。これを大にしては則(すなわ)ち將(しよう)帥(すい)、これを小にしては則(すなわ)ち騎(き)卒(そつ)、蓋(けだ)しその當(とう)なり。たとひそれをして纓(えい)を結び紳(しん)を垂(た)れて、爼(そ)豆(とう)の事を行(おこな)はしむるも、またいづくんぞ游(ゆう)夏(か)の容(よう)を見んや。これその相(あい)攝(か)ぬべからざるや、以(もつ)て見るべきのみ。今や天下の士たる者、列(れつ)位(い)すでに廣(ひろ)く、冗(じよう)員(いん)倍〃(ますます)多し。またただ便(べん)宜(ぎ)事(こと)を執(と)るのみ。文に非(あら)ず武に非(あら)ず。彼(かれ)將(まさ)に何を以(もつ)て任(にん)となさんとするや。籩(へん)豆(とう)の事(こと)は、則(すなわ)ち知らざるなり。軍(ぐん)旅(りよ)の事(こと)は、能(よ)くその謀(ぼう)を出(だ)す者、蓋(けだ)し鮮(すくな)し。甚(はなは)だしき者は終(しゆう)身(しん)一(いつ)兵(ぺい)を執(と)らずして、手は柔(じゆう)荑(い)の如(ごと)く、顔は蕣(しゆん)花(か)の如(ごと)く、駕(のりもの)を俟(ま)って後(のち)行(ゆ)き、茵(しとね)を俟(ま)って後(のち)坐(ざ)す。

 文武の文を役割とする役人(文官)は、詩(し)書(しよ)礼(れい)楽(がく)を習得するので、温厚で恭(うやうや)しい人柄になる。人徳を磨き続ければ、出世頭は殿様の側近にまで上り詰め、普通の役人でも事務方としての職務を果たす。それぞれが能力に応じて職責を務(つと)める。これが文官の文官たる所以である。このような文官が武道や剣術を習得して、武官として職務を果たしたとしても、三国志で有名な孟賁(もうほん)(秦の武王に仕えた怪力な人)や夏(か)育(いく)(怪力で有名なな斉の人)のような功を上げられるはずがない。
 文武の武を役割とする役人(武官)は、刀、楯(たて)、斧(おの)等を用いた様々な剣術を習得するので、勇敢で逞(たくま)しい人柄になる。武道を磨き続ければ、出世頭は大将にまで上り詰め、普通の武官でも騎兵隊としての職務を果たす。それぞれ技量に応じて職責を務める。このような武官が詩(し)書(しよ)礼(れい)楽(がく)を習得して、事務方としての職務を果たしたとしても、孔子の高弟である子(し)遊(ゆう)や子夏(しか)のような実績を上げられるはずがない。
 以上のことから一人の人間が文官と武官を兼ねることは難しいのである。
 今の社会には、天下国家を司る役人が過剰でありあまっており、さほど重要とも思われない仕事を杓子定規に行っている。文化や文芸を尊ぶ役割を司っているわけでもなく、武道や剣術を尊ぶ役割を司っているわけでもない。祭祀に関する知識も皆無である。一体、どんな役割を全うしている(武官なのか文官な)のか、わからない。詩書礼楽を習得した役人はほとんどおらず、武道や剣術を習得した役人もほとんどいない。兵法に長けている役人もほとんどおらず、武家でありながら戦の経験もない。手は女のように柔らかく、顔はゆで卵のようにつるつるしている。自ら走らず駕(か)籠(ご)を使い、敷物の上に座っている。