我そのかくの如(ごと)きを見て、夏(か)畦(けい)も愧(は)づるに足らざるなり。ああ足利氏の天下に於けるや、末世已(まつせすで)に斷(だん)髪(ぱつ)の俗ありしも、またただ武人戰士の徒、僅(きん)僅(きん)便(びん)に随へるのみ。その一(いつ)變(ぺん)するに至っては、則(すなわ)ち官は公(く)卿(ぎよう)に任じ、職は將相に補せらるるも、また皆髪を斬り頂(いただき)を露(あら)はし、方(ほう)髩(びん)月(げつ)額(がく)、加(くわ)ふるに無制の服を以てす。則ちいはゆる衣冠の風は、化して戎(じゆう)蠻(ばん)の俗と成る。醜(しゆう)もまた甚(はなは)だしからずや。昔、漢(かん)高(こう)天下を平治し、賢(けん)良(りよう)を登(とう)庸(よう)し、命じて朝(ちよう)儀(ぎ)を作らしめ、始めてこれを用ふるに及んで、則(すなわ)ち皇帝たるの貴(たつと)きを知れりと。それ人の富を欲するは、その財貨あるを以てなり。人の貴(き)を欲するは、その威儀あるを以(もつ)てなり。若(も)しその財貨の存せずんば、何を以(もつ)て富となさんや。その威儀のあるなくんば、また何を以(もつ)て貴(き)となさんや。
わたしは、肩で風を切って、偉そうにしている上級役人(武士)の姿を見ると、真夏の炎天下で汗だくになりながら農作業をしている農民の方がずっと立派だと思う。
農民の汗の結晶である禄(ろく)高(だか)で食わせてもらっている上級役人(武士)の、農民に対する態度は、何と横柄であろうか。同じ上級役人を勤めている武士(江宮隆之著「明治維新を創った男・山縣大貳伝」によると柳子新論を執筆していた時、大貳は九代将軍家重の側用人である大岡忠光の侍医兼儒官として仕えていた)として真(まこと)に恥ずかしい。穴があったら隠れてしまいたいほど恥ずかしい。
武家にあっては、室町時代から戦国時代にかけて、礼楽制度が軽視され武士が断(だん)髪(ぱつ)する風俗が見られるようになったが、上級役人である武士がそのような俗風に染まることはほとんどなかった。ところが、世情一変して今の時代に至ると、上級役人や大将に任命されても、気軽に断(だん)髪(ぱつ)して丁(ちょん)髷(まげ)を結(ゆ)うのを止(や)め、終には、自分が勝手に誂(あつら)えた衣裳を着るような輩(やから)が現れるようになった。礼楽制度は形(けい)骸(がい)化(か)して、高貴な風俗は野蛮な風俗に劣化してしまった。何という醜(しゆう)態(たい)であろうか。
昔、「前漢の高(こう)祖(そ)・劉(りゅう)邦(ほう)は天下を平定した後、叔(しゅく)孫(そん)通(つう)に命じて、古(いにしえ)の礼法を復活し、宮殿に行わせたところ、諸侯王はみな高祖を敬ったので、高祖が『われ今日始めて皇帝の尊(たつとき)を知る』といった(注)」そうである。
天下人が経済力を求めるのは、天下を治めるために財力が必要だからである。私腹を肥やすために財力を求めるのではない。また、天下人が地位を得たいと欲するのは、天下を治めるために権威が必要だからである。名誉を得るために地位を欲するのではない。財力と権威を具えた天下人であるから、天下を治めることができるのである。
今の人を以(もつ)て、今の服を着(つ)け、今の朝(ちよう)に立ちて、今の政(まつりごと)を行ふ、その威儀(いぎ)なきこと固(もと)よりなり。またなんぞかの天下を陶(とう)鑄(ちゆう)するの道を知らんや。それかくの如(ごと)くんば、寧(むし)ろ以て治(ち)平(へい)の術となすか。將(ま)た以(もつ)て衰(すい)亂(らん)の俗となすか。寧(むし)ろ以(もつ)て中國の教(おしえ)となすか。將(ま)た以(もつ)て夷(い)狄(てき)の風となすか。吾(われ)未(いま)だその何を以(もつ)てこれに處(しよ)するかを知らざるなり。且(か)つ金(きん)元(げん)の入って趙(ちよう)宋(そう)に冦(あだ)するや、漸(ぜん)を以(もつ)てして天下蒙(もう)古(こ)の有(ゆう)となる。然(しか)れども猶(な)ほ能(よ)くその俗を易(か)へず。而(しか)して衣(い)冠(かん)法(ほう)あり、官(かん)職(しよく)制(せい)あり。先(せん)王(おう)の道、未(いま)だ地を掃(は)はざりき。明(みん)帝(てい)勃興(ぼつこう)し、兇(きよう)賊(ぞく)誅(ちゆう)に伏(ふく)すれば、則(すなわ)ち一洗(いつせん)して盡(ことごと)くその舊(きゆう)に復(ふく)せり。兆(ちよう)民(みん)今(いま)に到るまで、袵(じん)を左にし髪(はつ)を被(こうむ)る者なし。
ところが、今の上級役人(武士)ときたら、勝手に誂(あつら)えた衣裳を身に着けて、醜態を晒していることを恥ずかしいとも思わずに政治を執行している。そのような役人に誰が権威を感じるだろうか。どうして天下を治めることができるだろうか。いくら財力があっても権威がなければ、天下を治めることはできない。どうすれば、財力と権威を具えた天下人が出現するだろうか。天下人が現れなければ、政治は衰退・荒廃してやがて謀(む)叛(ほん)が起こるであろう。ならば、中国の教えを取り入れるべきか。しかし、性懲りもなく易姓革命を繰り返す中国の教えをそのまま取り入れれば、万世一系の皇国である日本が野蛮な国に成り下がってしまう。一体どうすればよいのか。わたしには分からない。
宋(そう)の国は蒙(もう)古(こ)に滅ぼされて、漢民族は蒙古人が率いる元(げん)王朝に支配されるようになった。しかし、漢民族は蒙古人の風俗は取り入れずに、昔ながらの漢民族の風土に従った。それゆえ、先(せん)王(おう)(歴史に残る王さま)の教えは地に堕ちることはなかった。
やがて元王朝は漢民族が率いる明(みん)王朝に滅ぼされたので、蒙古人の風俗は一掃され、宋(そう)の国の風俗(すなわち漢民族の風俗)はあっという間に復活した。そのため、論語にある「髪(かみ)を被(こうむ)り衽(えり)を左にせん。/外国から侵略されて植民地となり、髪を結ぶこともできずに散(ざん)ばら髪の姿で、(死者に衣服を着せるように)襟(えり)は左前に着ることになった。」と云うような苦境には陥らずにすんだのである。易姓革命を繰り返している中国においてすら、昔ながらの漢民族の風土を大事に守っているのである。
即(すなわ)ち知る我(わが)邦(くに)の俗、縦令聖賢(たといせいけん)の君(きみ)あり、古(いにしえ)禮(れい)を行ひ、古(いにしえ)樂(がく)を奏(そう)し、官(かん)政(せい)舊(きゆう)に率(ひき)ひ、衣(い)冠(かん)再(ふたた)び擧(あぐ)るも、またただ斷(だん)髪(ぱつ)の俗、裸(はだか)跣(はだし)の習(ならい)、馴(じゆん)致(ち)の久しきに非(あら)ずんば、なんぞ能(よ)く中(ちゆう)土(ど)の人に似(に)んや。土(ど)必ず桎梏(しつこく)に勝(た)へず、民(たみ)必ず窘(きん)束(そく)に勝(た)へざらん。これそのこれをいかんともすべからざる者なり。澆(ぎよう)季(り)の弊(へい)、一にここに至るか。長(ちよう)歎(たん)息(そく)なからんと欲すといへども、得べからざるなり。
我が国においては、天皇陛下を中心に、古(いにしえ)の礼楽制度が行き渡り、衣裳と冠が正しく用いられるようにしていかなければならない。武士が矜(きょう)持(じ)を失ったまま、今のような政治を続ければ、元王朝(蒙古民族)を滅ぼした明王朝(漢民族)が、再び清王朝(満州族)に滅ぼされて植民地化され、弁(べん)髪(ぱつ)(頭髪の一部を残して刈り上げ残った毛髪を伸ばして三つ編みにして後ろに垂らす髪型)を強制されて民族服の着用を禁じられた漢民族のようになってしまう。そうなったら、武士は自由を束縛され、民衆は雁(がん)字(じ)搦(がら)めに縛られてしまう。そのような状態に陥れば、どうすることもできない。ここまで落ちぶれてしまったら、長い溜息をついても、どうにもならないのである。