第九章
易之爲書也。原始要終。以爲質也。六爻相雜。唯其時物也。
○易の書たるや、初めを原(たず)ね終わりを要(もと)め、以て質と為すなり。六(りく)爻(こう)相い雑(まじ)わる、唯だ其の時の物なり。
易に書いてある物語は、どのような原因や要因で、その物語が始まったのかを探究し、物語の終末はどのような状態に至るのかを追求することによって、その時々の本質を明らかにするのである。その時々の物語は六段階から成っており、時には陽となり、時には陰となって、無限に変化循環するのである。それぞれの段階では、その時々において、何を爲すべきか(時中)を物語風に提示している。
其初雜知。其上易知。本末也。初辭擬之。卒成之終。
○其の初(しよ)(しょ)は知り難く、其の上は知り易(やす)し、本末なればなり。初の辞は之に擬(なぞら)え、卒(おわ)りは之が終わりを成す。
六段階から成る物語は、初爻から始まり上爻で終る。その初めの段階(初爻)においては、物語の全貌を把握することは難しいが、物語が進むに連れて(初爻から上爻に至る流れの中で)、物語の全貌が把握できるようになっている。物事には始めと終わり、本質と末端があるからである。
すなわち、初めの段階の物語(初爻から三爻の頃)には、物事の兆し(よほど注意深く観察していなければ気付かない微かな変化の現れ)が描かれており、終わりの段階の物語(四爻から上爻の頃)には、物事の萌し(誰もが気付く変化の現れ)が描かれているのである。それゆえ、初めの段階(初爻)においては、物語の全貌を把握することは難しく、物語が進むに連れて(上爻に近付くに連れ)、物語の全貌が把握できるのである。
若夫雜物撰德。辯是與非。則非其中爻不備。噫亦要存亡吉凶。則居可知矣。知者觀其彖辭。則思過半矣。
○若(も)し夫(そ)れ物を雑(まじ)え徳を撰(そな)え、是と非とを弁ずるは、則ち其の中(ちゆう)爻(こう)に非(あら)ざれば備わらず。噫(ああ)、亦(また)、存亡吉凶を要(よう)すれば、則ち居(い)ながらにして知る可し。知者、其の彖辞を観れば、則ち思い半ばに過ぎん。
さて、この六段階から成る一つの物語(卦)の中に、どのように陰と陽とが組み合わされているのか、どのような卦德(その物語が成立するのに必要な德目)が潜んでいるのか、何をすればよいのか、してはならないのかを読み取るには、物語の始め(初爻)から最後(上爻)に至る流れを、吟味しなければならない。
あぁ、そのようにして物語に描かれている存亡や吉凶を読み取れば、そのような経験がなくても、一つの物事の結末を知ることができる。易の効用を知っている者が、易に描かれている物語の本質を熟読すれば、その時々の吉凶禍福や大凡の対処法を知ることができるのである。