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はじめての易経 49.澤火革

四十九澤(たく)火(か)革(かく) ☱ ☲ 兌上離下

 互卦 四四天風姤☰☴
 綜卦 五十火風鼎☲☴
 錯卦  四山水蒙☶☵

 澤火革☱☲は革命の物語である。易経発祥の地である古代中国は殷から周へ、周から秦へ、秦から漢へと、革命に次ぐ革命で、次々と王朝が変わっていった。易経に最初に言葉を掛けた文王は殷王朝の天子である紂王に柔順に従い、諸侯としての分を守り続けた。革命は時に中ることが大事である。民衆は革命を好まない。今の政治体制が崩壊寸前となり、弊害が露わにならない段階で、実行してはならない。よって、革命で殷王朝を撃ち倒し周王朝を打ち立てたのは文王の息子である武王である。武王が文王の後を継いで、殷王朝の体制が崩壊寸前となり、弊害が露わになった段階で革命を成し遂げた。経文(爻辞の流れ)に当て嵌めると、下卦の初爻から三爻までが文王の時代であり、上卦の四爻から上爻までが武王の時代である。
 日本においては紀元前六百六十年(日本書紀)に初代天皇として神武天皇が即位して以来、第百二十六代目となる今上陛下に至るまで王朝交代は一度もなく、連綿と皇室が続いている。それゆえ、日本には澤火革そのものの歴史はない。あえて云えば乙巳(いつし)の変(それに続く大化の改新)や江戸末期(それに続く明治維新)を澤火革に例えることはできる。
 乙巳(いつし)の変(それに続く大化の改新)においては、政治が腐敗した状況を打破しようと立ち上がった中(なかの)大(おお)兄(えの)皇(おう)子(じ)と中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)が蘇(そ)我(がの)入(いる)鹿(か)征伐を企てて準備していた期間が下卦の初爻から三爻までであり、蘇(そ)我(がの)入(いる)鹿(か)を征伐した乙巳(いつし)の変を経て大化の改新に至るまでの期間が上卦の四爻から上爻までである。江戸末期(それに続く明治維新)においては、幕末の混乱期を経て幕府の大政奉還を受けて、朝廷が発した王政復古の大号令により、明治天皇を中心とした新たを政府を組織することを宣言するまでの期間が下卦の初爻から三爻までであり、国を二分する内戦(戊(ぼ)辰(しん)戦争)を制して、明治天皇を中心とした新政府が発足し、明治維新とよばれる変革が行われた期間が上卦の四爻から上爻までである。

 以上が澤火革の概要である。
 ここから先は原文(漢文と書き下し文)を示した上で、初心者でも理解できるように意訳していく。(太字を読めば理解できる。)以下省略。