五十七 巽為風 ☴ ☴
巽為風☴☴は巽順にして巽順、立派な人(大人)に教え導かれて謙って順う時である。順うという意味では「十七澤雷随☱☳に似ているが、澤雷随は随うべき相手に随う時であり、巽為風は立派な人(大人)に教え導かれて順う時である。巽☴には「迷う、疑う、不決断、偽る、騙す、多欲」などの悪い性質もある。それを自分の欠点と自覚して、立派な人(大人)を見付け、その話をよく聞き、教え導かれて成長する(陰陽五行で巽は成長した木)がよい。立派な人(大人)は、小人がよく理解できるように丁寧に話を伝えて、人間として求められる生き方を教え導くのである。
立派な人(大人)は滅多にいない(千人に一人くらいの確率)ので、立派な人(大人)にはなかなか出逢えない。そこで、歴史上の人物から自分が心から尊敬できる人を見付けることが早道である。筆者が日本の近現代史から立派な人(大人)を選ぶとすれば「西郷隆盛」の他にはいないと確信している。
西郷隆盛について、内村鑑三著・鈴木範久訳「代表的日本人」岩波書店には、次のように書いてある。以下、同書から抜粋して引用する。
【まず、西郷ほど生活上の欲望のなかった人は、他にはいないように思われます。日本の陸軍大将、近衛都督、閣僚のなかでの最有力者でありながら、西郷の外見は、ごく普通の兵士と変わりませんでした。西郷の月収が数百円であったころ、必要とする分は一五円で足り、残りは困っている友人ならだれにでも与えられました。東京の番町の住居はみずぼらしい建物で、一ヵ月の家賃は三円であったのです。
その普段着は薩摩がすりで、幅広の木綿帯、足には大きな下駄を履くだけでした。この身なりのままで西郷は、宮中の晩餐会であれ、どこへでも常に現れました。食べ物は、自分の前に出されたものなら何でも食べました。あるとき、一人の客が西郷の家を訪ねると、西郷が数人の兵士や従者たちと、大きな手桶をかこんで、容器のなかに冷やしてあるそばを食べているところでありました。自分も純真な大きな子供である西郷は、若者たちと食べることが、お気に入りの宴会であったのです。