初六、履霜堅氷至。
○初(しよ)六(りく)。霜を履(ふ)みて堅(けん)氷(ぴよう)至る。
象曰、履霜堅氷、陰始凝也。馴致其道、至堅氷也。
○象に曰く、霜を履(ふ)みて堅(けん)氷(ぴよう)とは、陰の始めて凝(こ)る也。其の道を馴(じゆん)致(ち)すれば、堅(けん)氷(ぴよう)に至る也。
この爻は陰にして六爻の初めに居る。それゆえ初(しよ)六(りく)と言う。初六は一つの陰爻が初めて凝固した。その始まり方はとても微(かすか)かであるが、その勢いは必ず盛大に至ることになる。それゆえ、その形(象)を霜を踏んで堅固な氷に至ろうとしているとした。人に在ってはあたかも子どもが初めて生まれすくすくと成長し始めた様子である。その成長の仕方は千里の旅を始めたばかりの第一歩であり、その歩み方によって善悪の結果が大きく決まる。それゆえ小象伝に「霜を履(ふ)みて堅(けん)氷(ぴよう)とは、陰の始めて凝(こ)る也。其の道を馴(じゆん)致(ち)すれば、堅(けん)氷(ぴよう)に至る也」と言う。
思うに人の善悪は、その人の気質によって分かれるところであるが、大体は幼時の教えや養育の在り方に由り善悪に分かれる。わたしたちが天から与えられた性質は本来善であり髪の毛一本ほどの私心はないが、教養や習慣によって性質が左右されるので、世の中の父兄は注意しなければならない。それゆえ文言伝に「積善の家には、必ず餘(よ)慶(けい)有り。積不善の家には、必ず餘(よ)殃(おう)有り。臣(しん)其(そ)の君を弑(しい)し、子其(そ)の父を弑(しい)する。一(いつ)朝(ちよう)一(いつ)夕(せき)の故(ゆえ)に非(あら)ず。其の由(よ)って來(きた)る所の者、漸(ぜん)なり。之(これ)を辨(べん)ずること早く辨(べん)ぜざるに由(よ)る也」と言うのである。
