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天命に生きる日本の教え講座 安岡正篤「人生手帖」に学ぶ

五月七日の言葉 人間の価値

ずるいことをやったり、人を押しのけたりして、地位や財産をつくるのも人間の能力、知能の一つであります。それを使っていろいろのことができる。できるけれども、そんなことができても、これは人間としては少しも偉いことではない。社会的には偉いかも知れぬが、人間としてはむしろ恥ずべきことであります。何を為すか、何をしたいかということと、彼はどういう人間か、如何にあるか、ということとは別である。(以上、安岡正篤一日一言から)

安岡先生の言葉で一番好きな言葉が、人間というのは「何を為すか」よりも「何であるか」の方が大切であるという言葉です。その言葉を知るまでのわたしは「何を為すか」ということばかり考え、そして行動してきました。そして「何かを為さない」人は、大した人物ではないと見下していました。しかし、安岡先生の言葉を知り、それは大きな間違いであることに気づかされました。「何を為すか」というのは社会的に見れば偉大であるけれども、人間として偉大であるかどうかにはつながらない。人間として偉大であるのは、周りの人に「感謝される人間」になること。自分が何を為すかではなくて、周りの人にとって「何であるか」です。
周りの人に感謝される人間か、いるとほっとする人間か、それとも、迷惑になる人間か、いてもいなくてもいいような人間か、はたまた、息をしているだけで嫌われるような人間か。それが「何であるか」であり、それは「何を為すか」とは関係がないことである、ということがわかったのです。
しかし、わかったことと、それができるかということは、別次元でありまして、わたしが周りの人に感謝される人間であるか、いるとほっとする人間であるかと考えますと、まるでなっておりません。未だに「何を為すか」に囚われて、周りの人に迷惑をかけることが少なくありません。これではいけないと思っておりますが、「何であるか」というのは、なかなか難しいことです…。

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