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天命に生きる日本の教え講座 安岡正篤「人生手帖」に学ぶ

五月六日の言葉 家庭教育

いままで学校教育こそが教育だと思っておったが、しかしこのごろはヨーロッパでもアメリカでも、教育は学校がやると思っているのはよほど後(おく)れた人間でありまして、あらゆる教育家・教育学者は、「教育はやっぱり家庭教育である。学校教育は家庭教育でできたものを受け取って、これに手入れをするところだ」と考えている。日本のように、教育と言えば、子供をどんな手段を使っても学校へ入れるんだと考えているのは、文明国ではよほど後れておる。(以上、安岡正篤一日一言から)

わたしの家庭を含めて、今の日本における最も大きな課題は家庭教育のあり方です。安岡先生は人間にとって一番大切なことは敬することと恥じることである、と繰り返しといておられますが、戦後の似非(えせ)民主主義教育により、わたし達日本人は、敬すること、恥じることをすっかり忘れ去ってしまいました。
その要因を考えますと、一番大きいことは、宗教という人間が生きていく上で欠くことのできない精神基盤を蔑(ないがし)ろにしたことでしょう。大切なのは、どの宗教を信仰するとか、どの宗派に属するとかいうことではなくて、微力な人間にはどうすることもできない大宇宙の法則があるという畏敬の念を心に抱くことであり、そのような宗教心があるからあらゆるものを敬する気持ち、尊敬する気持ちが育まれるのです。そして敬する気持ちがあるからこそ、それに比べて自分を恥じるという気持ちが生まれてくるのです。百五十億年もの間、生成発展をし続ける大宇宙の存在に比べれば、人間というのは何とちっぽけな存在だろうと、大宇宙を敬すると同時に自らを恥じる気持ちが生まれるのです。
宗教を失ったという家庭教育崩壊の最大の要因と同時に失ったのは、道徳心でしょう。安岡先生は、宗教と道徳はセットであり、敬する気持ちを立てると宗教となり、恥じる気持ちを立てると道徳となるのだと説いておられます。まったくその通りだと思います。宗教心があるから道徳心が育まれ、道徳心があるから宗教心が培われるのです。日本の場合、宗教を担ってきたのが神道と仏教、道徳心を担ってきたのが儒教です。それは聖徳太子の十七条憲法の頃から連綿と続いてきたのです。それを戦後の似非民主主義教育が破壊してしまいました。それを手伝ったのが、知識人と称される似非民主主義者と日教組に代表される似非平和主義者でした。マスコミにもてはやされてきた知識人と教員のほとんどが属する最大の労働組合が日本の学校教育を破壊するのに加担したと言っても過言ではありますまい。
家庭では似非民主主義による悪平等が跋扈し、父親の権威が失墜しました。みんなが物質的な豊かさを追求して宗教を忘れてしまいました。同時に、あいさつ、履物をそろえる、背筋を伸ばして坐るという躾ができなくなりました。核家族化が進み、仏壇のない家が増えました。
家庭において道徳はなくなり、宗教は形骸化してしまったのです。学校教育と同時に家庭教育も崩壊しました。

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