安岡正篤一日一言を読み解く
五月五日の言葉 父母憲章
一、父母はその子供のおのずからなる敬愛の的であることを本義とする。
敬愛のうち、敬は父親が、愛は母親が担うものだと安岡先生はおっしゃります。わが家の場合を振り返りますと、愛は母親(家内)がしっかりと担っておりますが、敬を父親(わたし)が担っているかというと、これはもう完全に失格です。夢甲斐塾に入るまでのわたし、すなわち四十二歳になるまでのわたしは、それはもう、家庭において、自堕落な生活をしておりました。今から五、六年前のことですから、上の息子が小学校高学年、下の息子が小学校低学年のことです。子供は、小学生の頃までにちゃんと躾けないといけないと言われますが、その小学生までの家庭生活において、両親がどのような生活態度であったかということが問われるわけです。当時のわたしの家庭生活を振り返りますが、それはもう非道いものでして、とても子供の手本になるようなものではなく、朝のあいさつもろくにしていなかったという有様ですから、お話になりません。夢甲斐塾に入り、上甲先生の話の薫陶を受けるようになってからは、家庭における生活態度をきちんとするようになりましたが、時すでに遅し…でして、未だに息子どもから敬されるに到っておりません。
二、家庭は人間教育の素地である。子供の正しい徳性とよい習慣を養うことが、学校に入れる前の大切な問題である。
この「学校に入れる前」に子供に正しい徳性とよい習慣を養ったか、という点についても、まったくもってできませんでした。そのように心がけるようになったのは、この五、六年でして、現在、息子どもは、高二と中二ですから、徳性とよい習慣を養うには遅きに失してしまいました。しかし、遅きに失したとしても、やらないよりはやったほうが善いに決まっておりますので、正しい徳性と善い習慣を養うように教育しているつもりではありますが、その効果のほどは…まったく自信がありません。
三、父母はその子供の為に、学校に限らず、良き師・良き友を択んで、これに就けることを心掛けねばならぬ。
多分、母親(家内)が息子どもが良き友と付き合っているかどうかを把握していると思いますが、わたしはさっぱりわかりません。良き師というのは…、どうでしょうか。少なくとも択んでこれに就けるということは、まったくしておりません。それぞれが出会った先生の中に良き師といえる先生がいることを祈るほかありません。
それにしても安岡先生の父母憲章をひとつひとつ自分に当て嵌めてみると、まったくできていないことに愕然とする思いであります。
四、父母は随時祖宗(そそう)の祭を行い、子供に永遠の生命に参ずることを知らせる心掛けが大切である。
これは、五、六年前からは、毎朝神棚と仏壇に向かってきちんとやっています。特に最近親父が亡くなってからは、毎日仏壇の前で般若心経を唱えておりますので、息子どもに、その姿は伝わっていると思います。また、事務所に備えてある仏壇兼神棚に向かって、白隠禅師坐禅和讃と四弘誓願を唱えておりますし、大学と論語をほぼ毎日大きな声で素読しておりますので、それもまた何らかの形で伝わっているように思います。
五、父母は物質的・功利的な欲望や成功の話に過度の関心を示さず、親戚交友の陰口を慎み、淡々として、専(もっぱ)ら平和と勤勉の家風を作らねばならぬ。
これも、五、六年前までは、完全に失格でした。年中お金の話をしておりまして、下の息子からは、お父さんはいつも、お金、お金と言っている、といわれる始末でした。親戚交友の陰口を言うということは、わが家は親戚が少ないので、ほとんどなかったかと思いますが、それにしても、功利的な欲望や成功の話に過度の関心を示さず、ということができるようになったのは、やはり、上甲先生に出会ってからで、それ以前は、まったくなっていなかったと言わざるを得ません。
六、父母は子供の持つ諸種の能力に注意し、特にその隠れた特質を発見し、啓発することに努めねばならぬ。
これは、母親(家内)が一生懸命やっているように思います。わたしは、というと、自信がありません。一応、息子どもの特質は理解しているつもりですが、啓発しているかというとあやしい感じがいたします。親ばかですが、わたしが息子どもの年齢の時には、どうにもならない性格でしたから、それに比べれば、よく出来ている方だと思っています。
七、人生万事、喜怒哀楽の中に存する。父母は常に家庭に在って最も感情の陶冶(とうや)を重んぜねばならぬ。
これに関してはよく夫婦喧嘩をしますので、やっぱり失格です。しかし、親父が亡くなったことがきっかけとなり、わたしの心境が大きく変化した(むろん、家内も)ことから、最近は夫婦喧嘩がめっきり少なくなったように思います。親父はお袋の言うことに対して一切口答えすることが無かったそうですし、出されたご飯はいつも美味しいと言って食べていたそうですから、わたしもそのようになりたいと努力しているところです。
