・九月十四日土曜日
三時半過ぎに起床。早速YouTubeに易経の動画をFacebookに昨日の日記をアップし、今日一日の運勢を占筮したところ水風井☵☴三爻が出た。
卦辞・彖辞を解釈すると次のようになる。
○井は邑を改むれども井を改めず。喪ふ无く得る无し。往來井を井とす。汔ど至らんとして、亦、未だ井に繘せず、其瓶を羸るは、凶なり。
▼遷都で村人や村落が移転しても井戸(易経の教え)は残る。その井戸(教え)から水(人生訓)を汲み出しても尽きることはなく、水を汲み出さずに放っておいても(学ばなくても)溢れることがない。往来する人々は井戸を井戸として用いて、その(易経の教えの)恩澤に与ることができる。けれども、井戸の中の水面の近くまで釣瓶が達していても、まだ釣瓶が水面にまでに届いていかなかったり(ちゃんと理解していなかったり)、又は最初から釣瓶がなかったり(理解する気持ちがなかったり)、或いは釣瓶が壊れていれば(教えを読み取れなければ)、井戸(易経の教え)から水を汲み上げる(人世訓を学ぶ)ことができない。井戸(易経)は何の役にも立たない無用の長物となり、井戸本来の役割を果たせない(ので、実に残念なことである)。
爻辞を解釈すると次のようになる。
○九三。井渫へたれども食はれず。我が心の惻を爲す。用て汲む可し。王明らかならば、竝に其福を受けん。
▼剛健正位(陽爻陽位)の九三(わたし)は井の時に下卦の最上位に居るので、井戸の上澄み水(泥水を浚った清水・君子=易経をよく理解している人)に喩えられる。この清水(君德)を誰かが汲み上げて用いれば役に立つが、誰も汲み上げてくれない。九三は心を痛めて嘆息する。「誰か汲み上げてくだされ(もっと沢山の人々に易経を学んで欲しい)」。王さま(トップ=易経の権威)が明君(沢山の人々に知られるようになれば)であれば、九三の清水(君德)を汲み上げ用いて、上下(天子・トップと臣民=日本社会と日本人は)共に福を招き寄せる。
今日は週に一度の休養日だが、終日「みんなの易経」を執筆した。
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