十七.随うべき相手に随う時
次は「随うべき相手に随う時」の物語である。「長幼の序」という言葉があるように昔の日本では年功序列を大切にしていた。年下の者は年上の者に随うべきだという道徳律が定着していたのである。けれども、明治維新で西洋の思想が蔓延りはじめ、大東亜戦争に敗れて昔の道徳律が否定されてから「長幼の序」は死語となった。年功序列や社会階級などに囚われないで、誰に随えば自分が得するかを考えて、随うべき相手をしっかり見定めてから随うが善いという自分本位の考え方が横行するようになった。これが「随うべき相手に随う時」の一つの側面である。このような側面以外で「随うべき相手に随う時」を考察すると、平常時か非常時かによって随うべき相手が変化すると捉えることができる。平常時は組織の序列に随うべきだが、非常時には必ずしも組織の序列に随う必要はないという考え方である。
自分の損得で随うべき相手を見定める「随うべき相手に随う時」は公共の利益に反するので、その時の状況(平常時か非常時かなど)に合わせて随うべき相手が変化すると捉える「随うべき相手に随う時」の物語を描いていくことにする。
「随うべき相手に随う時」の主人公は、「三.新しいものを産み出す時」に登場した「いろは会社」に勤めている「あなた(わたし)」である。
わたしは「いろは会社」に高卒で入社して二十年目になる。商業高校で簿記の資格を取得していたので総務畑をずっと歩んできた。わたしが入社した時には簿記の資格を取得している社員がいなかったからである。現在三十八歳になるわたしの役職は総務課長である。直属の上司は中途採用勤続二十年で五十歳になる総務部長であり、直属の部下は総務部総務課に所属している三十二歳の総務係長、二十九歳の主任、二十五歳の一般社員の三人である。総務部長の上には五十二歳の常務、五十五歳の専務、六十歳の社長、八十五歳の会長(前社長)がいる。
「いろは会社」は創業時にはパソコン周辺機器を企画販売からスタートした。その後IT関連市場に新規参入して、大企業が手を出しにくいニッチなマーケットに焦点を中て矢継ぎ早に独自商品を投入して一定の評価を得ている従業員数十名の中小企業である。
自分で言うのも何だが、わたしは仕事ができると思っている。人を見る目もあると思う。そんなわたしから見て、直属の上司である総務部長は人間としては善い人だが、仕事面では尊敬できない。総務部長なのに簿記の理解が薄く会社の財政状態をきちんと把握していないからである。総務は経理だけでなく人事を所管しており、総務部長はその面では能力が高いので専務から高く評価されているが、会社の財政状態をきちんと把握していない人が総務部長を務めるのは如何なものかとわたしは思っている。以下省略。