衛(えい)霊(れい)公(こう)篇第十五
衛霊公第十五、第一章
衛霊公、陳孔子問。孔子対曰、爼豆事則嘗之聞。軍旅事未之學。明日遂行。
陳在糧絶。従者病能興。子路慍見曰、君子亦窮。子曰、君子固窮。小人窮斯濫。
衛の霊公、陳(じん)を孔子に問う。孔子対えて曰く、「爼豆の事は則ち嘗(かつ)て之を聞けり。軍(ぐん)旅(りよ)の事は未だ之を學ばず」。明(めい)日(じつ)遂に行(さ)る。
陳に在りて糧を絶つ。従者病(や)みて能く興(た)つなし。子路慍りて見えて曰く、「君子も亦た窮することあるか」。子曰く、「君子固(もと)より窮す。小人窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る」。
(晋と戦争をしようとしていた)衛の(君主の)霊公が、孔子を引見(部屋に引き入れて対面)して、軍隊の配置(陣立て)について質問した。孔子は、これに対して「私は(禮楽の教えを奉ずるものでありますから、祭祀などにあたり)爼(そ)豆(とう)(祭りの供物を盛る道具)などの並べ方は學んでおりますが、(あいにく、王さまが質問された軍隊のことについては、まだ勉強したことがございません」と答えて、その翌日、さっさと衛の国を去ってしまった。(霊公が戦争することばかりを考えている限り、禮楽の道に耳を貸さないであろうと、衛の國を見限ったのである。)
【史記によれば、孔子六十四歳のことだ。故国魯を去って既に九年目。遊歴中最大の危機が孔子を襲った。孔子一行が衛を去って陳と蔡(さい)の間に入った時に、大国楚(そ)の昭王が孔子を招いた。しかし、進言が用いられて楚が一層強大になることを恐れた陳と蔡の有力者たちは、配下の者を派遣して孔子一行を包囲した。一行は身動きがとれず、また交通が杜(と)絶(ぜつ)したため食糧も得られず、餓えに苦しんだ。弟子たちが立ち上がる気力もないなか、孔子は泰然として「講(こう)誦(しよう)絃(げん)歌(か):詩経・書経の講義、禮楽の実習〕」を続けたという。…以上、呉智英著「現代人の論語」を一部加筆して引用】
孔子一行が陳(じん)の国を通りかかった時、孔子が他国の政治に助言することを畏れた者たちによって包囲され、食糧さえ絶たれた。孔子に従う弟子たちは疲れ果てて立ち上がることさえできなくなるほど疲弊した…。
剛毅で素直(単純)な子路が苛立って、孔子の前に進み出て言った。
「(先生!、)君子でも窮することがあるのでしょうか」。
孔子は、子路を諭した。
「もちろん、君子だって窮することはある。小人は窮すると取り乱す」。2012
この章に出てくる重要な言葉(概念)
陳(じん):「陣」に同じ。
爼豆の事:爼は祭の際、お供えの肉をのせる器、豆はお供えの野菜を盛る器である。「爼豆の事」とは結局、儀式・禮に関する知識のこと。
軍旅の事:軍事の知識。「軍」「旅」いずれも当時の軍隊の単位で、「軍」は一万二千五百人で最大の単位、今の軍団にあたるであろう。「旅」は五百人で、今の大隊くらいにあたる。
陳(ちん):現在の河南省陳州にあたる小国。
濫す:「濫」は「湓」で、自暴自棄に陥ること。鄭玄の注による「濫」は盗みをすること、それでも通じる。
(以上、貝塚茂樹著「論語」から)
さまざまな解説書を参考にしながら、わたしなりに訳してみた。
☆呉智英著「現代人の論語」には、次のように書いてある。
「君子もとより窮す。小人窮すればここに濫(みだ)る」。この窮状においてなおこれだけ見事な言葉を吐ける孔子は非凡である。その偉大さは人類最初の思想家たるにふさわしい。諸家は一致して弟子たちの弱さを見、また弟子たちの弱さを代表させられた子路に、論語読者は自分もまたかく弱きかと親近感を抱く。(中略)しかし、子路はただ弱いだけの人間だろうか。子路の胸中を考えてみよう。
師は一貫して理想の道を説いてきた。それは、「博(ひろ)く民に施して衆を済(すく)う」(雍也編6-30)ことだ。自分は師の人格に傾倒し、その言葉を信じてきた。しかし、どうだ。師の説く理想は実現しないばかりか、その理想のために国を追われ、諸国を放浪するはめに陥った。「博く民に施す」どころではない。自分たちが一椀の粟(あわ)飯(めし)でいいから施してもらいたいほどだ。一体、師の説く理想とは何なのか。弟子をさえ救えず、自らも窮状に陥っているその理想とは。
子路の「慍(いか)り」とは、このようなものであったろう。
子路はわたし達と同じく、凡人である。凡人は、善い行いをすれば、必ず善いことが返ってくると思う。でも、孔子の言に従って、善い行いを重ねてもいっこうに善いことが返ってこない。それどころか、食べることすら困難な事態に陥ってしまった。どうしてですか、先生、どうしてこんなことになるのですか、と子路は孔子に詰め寄っているのだ。それに対して、孔子は、善い行いを重ねたからといって、善いことが返ってくるとは限らない。それは天命であるからそれに従うしかない。しかし、天命に従いつつ、それに流されることなく、泰然自若として運命を切り開いていくのが人の道である、と子路を諭しているのである。孔子の偉大さと子路の平凡さのコントラストが、孔子への憧れと、子路への共感を引き出している章だといえよう。
☆安岡正篤著「人物を創る」には、次のように書いてある。
「窮すれば則ち其の爲さざる所を観る」。人間はときどき窮するが、窮すると、もがいてうろたえたことをする。この時に何をしないかを観る。何をするかを観るのではない。『論語』にも、「小人窮すれば則ち濫す」(衛霊公篇)とあるが、小人というものは窮するとでたらめをやる。