毎日連載! 易経や易占いに関する情報を毎日アップしています。

易経(周易)を読み解く 二五(水天需 初二三)

初九 ‥―‥ ―――  (水天需) 之卦 四八水風井

初九。需于郊。利用恆。无咎。
○初九。郊(こう)に需(ま)つ。恆(つね)を用(もち)うるに利し。咎无し。
 初九は上卦坎水(険難)から最も遠い所に居て、時が至るのをゆったりと待っている。初九は下卦乾の剛健(只強いだけでなく、待つべき時は待つことができる)の德を具えているから、正応六四の所へ妄進したりしないのである。
 待つ時の常の道に安んじて時を待つが宜しい。本来ならば妄進して咎められるが、猛進しないので、身を誤ることはない。すなわち、咎められないのである。
象曰、需于郊、不犯難行也。利用恆、无咎、未失常也。
○象に曰く。郊(こう)に需(ま)つとは、難を犯して行かざる也。恆(つね)を用(もち)うるに利し、咎无しとは、未(いま)だ常(つね)を失わざる也。
 小象伝は次のように言っている。初九は上卦坎水(険難)から最も遠い所で時が至るのをゆったりと待っている。危険を冒して進むことなく、楽しんで時が至るのを待っているのである。
 待つ時の常の道に安んじて、ゆったりと時を待てば、身を誤る(咎められる)ことはない。待つ時に安んずることができる人は、常の道を失わない(妄進しない)からである。

【以下、高島易断から占いとしての見立てを引用】
〇進もうとするが、前途に妨害が待ち受けていることを知り、時機が到来するのを待っている。よく本業に安んじて、妄りに進んではならない。動くことを好んで、静止することを嫌い、利益を求めて、急進すれば、災いを招き寄せる。動くべき時、静かにすべき時のタイミングをよくよく考えて平常心を保つべきである。
○時が至らないのに、強引に事業を企画して実行すれば険難に陥って後悔する。とくに新規事業は大失敗する。

九二 ‥―‥ ――― (水天需) 之卦 六三水火既濟

九二。需沙。少有言、終吉。
○九二。沙(すな・しや)に需(ま)つ。少しく言(げん)有れど、終(つい)には吉なり。
 九二は初九の時よりも上卦坎水(険難)に一歩近付くので「沙(すな・しや)」と云う。九二は妄(みだ)りに進まず河原の砂浜でゆったりと時を待っている。
 ゆったりとしているので、周りの人々には暢(のん)気(き)にしているように見えて、「勇気がない」「進歩がない」などと批判・中傷されて内心傷付くが、終には幸運に巡り逢うのである。
象曰、需于沙、衍在中也。雖少有言、以終吉也。
○象に曰く、沙(すな・しや)に需(ま)つとは、衍(ゆたか)にして中に在る也。少しく言有りと雖(いえど)も、吉(きつ)を以(もつ)て終わる也。
 小象伝は次のように言っている。妄(みだ)りに進まず河原の砂浜で待つ。従(しよう)容(よう)和(わ)楽(らく)して批判・中傷に惑(まど)わず、寛大でゆったりと時に中る。「勇気がない」「進歩がない」などと批判・中傷されて内心傷付くが、泰然として一歩も動かないので、終には幸運に巡り逢うのである。

【以下、高島易断から占いとしての見立てを引用】
〇何事も為し遂げる才能があるので、事を成そうとするが、前途に妨害が待ち構えていることを察知し、止まって時が至るのを待つ。九三は進んで行って災難を招き寄せるが、九二は九三よりも坎険から離れており、また思慮深いので災難を免れる。火事が隣の家まで燃え広がったが、わが家は火事の延焼から免れたようなものである。
○寛大な心で、従容と時が至るのを待てば、終には吉運が得られる。
○今は友だちと言い争ってはならない。やがて、自分の意のままに事が運ぶようになる。
○言い争えば敗れる。言葉を慎むべきである。
○無理して事を成そうとすれば、財産を失うなどの損害を招く。

九三 ‥―‥ ――― (水天需) 之卦 六十水澤節

九三。需于泥。致寇至。
○九三。泥(どろ)に需(ま)つ。寇(あだ)の至(いた)るを致(いた)す。
 九三は下卦乾天(剛健)の一番上に居る。上卦坎水(険難)が目(もく)前(ぜん)に迫(せま)っているので、川の水(上卦坎水)と河原の土(上卦坎水に隣接している九三の位置)が混じった泥の場所で待っている。剛位に剛が居て剛が過ぎる上にやり過ぎる性格であり、さらに上六・六四と応比の関係なので、妄進して災いを招き寄せる可能性が高い。
象曰、需于泥、災在外也。自我致寇、敬愼不敗也。
○象に曰く、泥(どろ)に需(ま)つとは、災い外(そと)に在(あ)る也。我より寇(あだ)を致(いた)す、敬(けい)愼(しん)すれば敗(やぶ)れざる也。
 小象伝は次のように言っている。九三が川の水と河原の土が混じった泥の場所で待っていると表現しているのは、外卦坎の災いが目前に迫っていることの例えである。
 九三は険難に向かって妄進し災いを招き寄せる可能性が高い。需の道(待つ時)の常を守って、恭(うやうや)しく慎(つつし)んでゆったりと時が至るのを待てば、険難に陥ることはないのに、剛が過ぎる上にやり過ぎる性格で妄進してしまうから、自ら災いを招き寄せたのである。

【以下、高島易断から占いとしての見立てを引用】
〇事を成し遂げようとする意欲が空回りし、自ら困難を招き寄せ、進退が自由にならない境遇に追い込まれる。よくよく心を改め、何事も慎みの心を大切にして、自分から敗北を招き寄せるようなことがないように心がけるべきである。世間で才能があると称賛されている人物を占って、この爻が出たら、その人物は発言や行動が過ぎることを反省し、本業に専念して、何事も慎みの心を抱くように心がけ、時が到来するのを待つべきである。水難、盗難、病難などに遭遇することが心配される。何事も慎んで自重すべきである。
○険阻坎難に遭遇しそうになる。険難に陥ることを畏れて止まれば、災難を免れる。
○水の恐さを過小評価して溺死した人は、水を咎めることはできない。何事も畏れ慎み敬して止まる時は、自ら失敗を招くことはない。
○物事と自分の間に隔たりがあって、しっくりしない状況。運に恵まれない時だと心得て、己の分を守るべきである。
○いつも不正の誘惑に誘われて、病気になる心配がある。誘惑を断ち切って病気にならないように心がけるべきである。
○時が到来しない段階で事を為そうとすれば困窮する。