安岡正篤一日一言を読み解く
四月二十九日の言葉 遍参道楽
自然の到るところに名山大川があるように、古今東西、いろいろ英雄哲人碩学賢師がある。そういう尊い人、その教学を、生きている間にできるだけ遍参し、これを楽しもうという道楽趣味が私には非常にあるのであります。(以上、安岡正篤一日一言から)
辞書によると、遍参とは、禅僧が各地の師のもとを訪れ修行してまわること、だそうです。さすがに安岡先生の道楽趣味は、われわれ凡人のそれとは異なります。わたしは本を読むことは好きですから、まぁ読書が道楽趣味である、とは言えると思いますが、古今東西、英雄哲人碩学賢師の教学を遍参するなどという段階には到りません。わたしにとって安岡先生は別格、特別な存在でして、もっと身近な存在の作家として中野孝次先生がいらっしゃいます。中野孝次先生の著作「日本の美徳」には、次のようなことが書いてございます。
人間の原理とはごく当たり前のこと、人間の生き方、ライフスタイル、価値観、倫理といった、だれもが日常それに従って生きているもののことだ。
ところが、経済の原理ではそういうものとまったく無関係に量だけが問題になる。生産量、販売量、売上高、純利益、材料費、人件費、宣伝費、等々。明確に数えられ、計量できることだけが問題とされ人間的原理は入る余地がない。労働問題さえもそこでは賃金とか労働時間とか、ひたすら量に関わるもののみである。そして日本人は戦後五十年間の「奇跡の復興」から高度経済成長を通じてもっぱら経済的繁栄をはかりつづけた中で、いつの間にか量ばかりが唯一の価値であると、数字だけしか重んじなくなってしまったのではないか。
が、人間が生きる上でいちばん大事な事柄はすべて質に関わるものばかりである。愛とか、信義とか、人格とか、美とか、心とか、友情とか、そういう言葉で言いあらわされるものはすべて数量化できず、目に見えず、人間のもう一つの知覚によってのみ理解しうるものだ。
引用は以上ですが、まったくその通りだと思います。この本が出版されたのは、平成八年五月三十日。バブルが崩壊したと言われる平成三年四月から約五年後。この時代、経済界では、数量化に基づく米国型の市場原理主義の経営が盛んにもてはやされ情緒的な日本的経営は否定されつつありました。中野先生の主張はそれとはまったく反対のものですが、わたしは、中野先生に共感します。経済などは人間にとって枝葉末節。大事なことは如何に生きるかであり、それが本質・根本だと思うからです。
