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天命に生きる日本の教え講座 安岡正篤「人生手帖」に学ぶ

安岡正篤一日一言を読み解く

四月三十日の言葉 参学道

本当の学問や修養というものはこれは禅でも儒でも同様で、人間と人間、精神と精神、人格と人格が火花を散らす様にやる。これを参学道、参ずると言う。分かったのか、分からぬのか、ノートをとって、又それを受け売りする、などというような学問や学校勉強は、これは雑学・俗学というもので、所謂学問・求道の中には入らない。(以上、安岡正篤一日一言から)

漢字というのは、大変に奥深いものでして、「参」という字を漢和辞典で調べると、三に通じて三ツ・マジワルの義とす。マミユ・マイル等の義はマジワル義より転じしものか。と書いてあります。また「参」という字を使った言葉には、「参上」「参天」「参列」「参究」「参拝」などがあります。
「参上」とは、まいること、ゆくこと。「参天」とは天にまじわること。「参列」とは席につらなること。「参究」とは彼此(かれこれ)取りあわせて研究すること。「参拝」とは、神仏などにまいりおがむこと。いずれも、敬する気持ちをあらわしているように思います。安岡先生は、敬することと恥じることの大切さを、その著作を通じて繰り返し主張されておりますが、今の時代にもっとも欠けているのが、敬する気持ち、恥じる気持ちでしょう。せっかく漢字という他にないすぐれた文化遺産を持ちながら、これを生かしていないのが今の日本です。「参」という字一つ取り上げても、大変に奥深いものがあるわけで、たとえば武道などで敗れた者が勝った者に対して発する「参りました」という言葉などは世界に比するものがないほどにすばらしい言葉であり、負けた者が勝った相手を尊敬する、敬することができるのは、日本人だけである、と安岡先生もおっしゃっております。

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