三十五.明徳を明らかにする時
四書五経のひとつである大學の冒頭に「大學の道は明徳を明らかにするにあり」とある。大學とは大人の学びである。大人とは天命を生きている立派な人物のことだ。このような人物は滅多にいない。千人に一人、或いは一万人に一人くらいの割合でしか存在しない。その大人の学びの第一歩が「明徳を明らかにする」ことだ。「明徳」とは萬物が生まれつき具えている「命の泉」である。仏教ではこれを「仏性」と、古事記では「清く明るい心」と言っている。人間に当て嵌めれば「仁(思いやり)」である。一国のトップが明徳を明らかにすること(思いやりの統治)ができれば天下は泰平になる。
「明徳を明らかにする時」の主人公は堕落した戦後日本の復権を願い、自ら明徳を明らかにすることに努め総理大臣となり、多くの国民から慕われた「あなた(わたし)」である。
(こんな政治家が現れたら日本も救われるなぁという思いで描いた夢物語である。)
わたしは由緒正しい旧家に生まれ厳格な教育者の両親に厳しくそして温かく育てられた。江戸時代までは指導階級である武士が徹底的に学んだ四書五経を幼い頃から素読させられた。戦後の個性を重んじる民主教育とは対極の教えを物心つく頃から叩き込まれたわたしだが、厳しい中にも温かい両親から直接教えてもらえることが何よりもうれしかった。そんなわたしだから、幼稚園を経て小学校・中学校と進んでも、GHQの占領政策によって歪められた戦後の学校教育は肌が合わず、学校の勉強よりも四書五経・仏典・古事記など日本に古くから伝わる古典を独学で学び続けた。高校に入った時には歪んだ日本を本来の日本に復権しなければ日本は亡んでしまうと思い、どうすれば日本を復権することができるかを真剣に考え、政治家になって日本を復権しようと志を立てた。政治家になるためには、官僚として行政の中枢で働き、政治の仕組みを理解することが必要だと考えて東京大学法学部に進学することを決めた。幸い勉強はできたのでさほど苦労することもなく東大法学部に入ることができた。大学では官僚や政治家に必要だと思われる学問はすべて学んだ上で「明徳を明らかにする」ための訓練として坐禅道場で心身を鍛えた。この体験が総理大臣になった時に役に立った。
トップの成績で卒業し希望していた大蔵省に入った。仕事は忙しかったが、政治と行政の仕組みを体験することができて大変役に立った。大蔵省に入ったのは政治家になるための足がかりだったので、戦後の日本を牛耳っている政党に属する有力な政治家との人脈を作って将来に備えた。ある有力な政治家に認められて、三十代前半で政権与党の候補者として選挙に出た。これまで積み上げてきたキャリアと若さが有権者に支持され、万年野党の候補者に圧倒的な得票差で当選することができた。最年少の記録で国会議員となったわたしはマスメディアや講演会などに頻繁に登場して、あっという間に知名度が上がった。与党内では総理大臣を最も多く輩出している派閥に属し、外交部会という党内勉強会にも入った。まだ一回生なので役職につくことはできなかったが、その後、順調に基盤を固めて四十代前半で三回当選ながら政務官を務めることになった。以下省略。