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人生を豊かにする論語意訳 抜粋 その十一

先(せん)進(しん)篇第十一

☆先進篇について、諸橋轍次「論語の講義」には、次のように書いてある。
 先進から堯日に至る十篇は、學而から郷党に至る十篇を上(じよう)論(ろん)というに対して、下(か)論(ろん)と称する。上論は孔子の直(じき)伝(でん)でなくとも、少なくとも再伝程度の門人の編纂と考えられているが、下論はそれよりもややおくれて編纂されたものと思われる。

先進第十一、第一章
子曰、先進於禮樂、野人也。後進於禮樂、君子也。如用之、則吾従先進。
子曰く、先進の禮樂に於けるは野人なり。後進の禮樂に於けるは君子なり。如(も)し之を用うれば、則ち吾は先進に従わん。
 孔先生がおっしゃった。
「諸君の先輩(孔子が塾を始めやがて諸国を流浪するようになるまでの弟子たち)は、禮樂の本質である誠を貴び、末節にはこだわらなかったので、粗野な田舎者である。しかし、後輩(諸国を流浪した後祖国に戻ってからの孔子晩年の弟子たち)である諸君は禮樂に洗練している君子のようである。もしわたしが禮樂を実践するならば、誠を貴んだ諸君の先輩の態度を善しとしたい」。
 または、
「先輩(周王朝初期の人々)は、禮樂の本質である誠を貴び、末節にはこだわらなかったので、どちらかといえば粗野な田舎者のようであった。しかし、後輩(現在の周王朝の人々)は禮樂に洗練している君子のようである。もしわたしが禮樂を実践するとしたら、誠を貴んだ先輩に従おう」。2012

この章に出てくる重要な言葉(概念)
先進:孔子の弟子のなかで、孔子が魯国から亡命する前四九七年以前に入門した人たち、つまり子路・冉有・宰我・子貢・顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓・原憲・子羔・公西華などをさす。彼らは力を政治に尽くし、事績をあげようとした。
野人:当時の魯などの都市国家の近郊ではなく、ずっと離れた郊外に居住する農民たちのこと。
後進:前四九七年、孔子が魯国から亡命したのちに弟子入りした後輩、子游・子夏・曾子・有若・樊遅・漆雕開・澹台滅明などをさす。おもに精力を禮・楽制度の研究に費やした。
君子:ここでは、国都の近郊以内に住む文化的な自由人の市民をさしていう。

☆貝塚茂樹著「論語」には、次のように書いてある。
 この先進篇の一篇は孔子の、弟子たちの言行にたいする批判のことばを編集している。孔子は弟子たちを魯国亡命の前後をもって先輩と後輩とに分類している。先輩の學問にたいする研究はあまり専門的ではなく、素朴ではあるが、信念に満ち実行力をそなえていた。これに反して後輩の學問にたいする研究は、精密であって、文化的には教養が高かったが、あまりに學究的すぎて、繊細で実行力に欠けていた。わが徂徠の説から暗示を得た清朝の劉(りゆう)宝(ほう)楠(なん)は、次のように説く。孔子はかねがね、文化を質の文化つまり素朴主義と、文の文化つまり文明主義とに分け、質と文、素朴主義と文明主義とがほどよく調和し、多様的な文化の花を咲かせた周の文化を理想としていた。ここで孔子が素朴主義の先進にくみし、文明主義の後進をすてたとすると、孔子の文化にたいする持論と矛盾することになる。そこで、「先ず禮楽に進むは野人なり、後に禮楽に進むは君子なり」と読む。当時の貴族政治のもとでは、政治は世襲化していた。孔子の弟子たちのように、野人つまり無名の身分からおこって、まず禮楽の勉強をして、それによって職を得ようとする新興階級がある。これが先進のグループである。これにたいして、貴族は食を世襲しているので、まず仕官してから後に禮楽の勉強を始める。それが後進のグループである。孔子は新興の先進グループに応援したいのだと述べたのだという説をとっている。しかしこの章に述べられたことばは、すでに孔子の手もとから飛び立って各国の政治界に活躍している先進つまり先輩の弟子たちを、孔子の手もとに残って學問を勉強し、理論に長じているが実行力に欠けた若い弟子つまり後進とひきくらべ、はるかに先進の弟子たちをなつかしがった孔子の晩年の心境を述べたものである。
☆呉智英著「現代人の論語」には、次のように書いてある。
先生がこのようにおっしゃった。弟子のうちで先輩格の者たちは、禮楽に関しては無骨であり田(でん)夫(ぷ)野(や)人(じん)(無作法で教養のない人、引用者注)なみである。一方、後輩格の者たちは、禮楽に関してはよく洗練された教養人である。しかし、私が国家のために採用するとなれば、先輩格の者たちの方に与(くみ)するだろう。(中略)
 孔子は思う。先進の禮楽に於けるや、野人なり。子路は言うまでもなく、顔回や子貢だって、洗練きわまりない禮楽を身につけてはいなかった。しかし、年若い弟子たちは入門の時から既に洗練された作法や教養を身につけてさえいるように見える。後進の禮楽に於けるや、君子なり。恵まれた環境で育った青年が多かったのだろう。それはそれでけっこうなことだ。だが、先輩格の弟子たちの野人ぶりに自分は与(くみ)したいのだ。
 論語の中で唯一例外的に「君子」が否定的に使われている章である。対比的に使われる言葉も、いつもの「小人」ではなく、「野人」である。そこに孔子の複雑な思いも感じられよう。小人がいいわけではない、しかし、寸分の隙もない禮楽を身につけた教養人、君子に、孔子はなにかもの足りぬものを感じた。