坤の政治はこのような政治とは異なる。卦辞・彖辞に「牝(ひん)馬(ば)の貞に利(よろ)し。君子往(ゆ)く攸(ところ)有り。先んずれば迷い、後(おく)るれば主を得(う)。西南に朋(とも)を得(え)、東北に朋(とも)を喪(うしな)うに利(よろ)し(利を主とす?)」と言い、六四に「嚢(ふくろ)を括(くく)る」と言い、上六に「龍(りゆう)野(や)に戰(たたか)う」と言うのは、大体の要点であり、一に利によって国を繁栄させることが主眼である。しかし政治の根幹は道徳である。繁栄は枝葉である。根幹である道徳が政治にしっかり定着していなければ、いくら国が繁栄していたとしても一時の虚栄に過ぎない。
けれども坤の政治は地の道に則るから美しいことは論ずるまでもないが、「牝(ひん)馬(ば)の貞に利(よろ)し。君子往(ゆ)く攸(ところ)有り。先んずれば迷い、後(おく)るれば主を得(う)。西南に朋(とも)を得(え)、東北に朋(とも)を喪(うしな)うに利(よろ)し(利を主とす?)」のも、人情としてやむを得ないことだから首肯できるが、「利を主とす」ることが行き過ぎれば弊害が生ずることを否定できない。国にとって経済や文化の繁栄や地勢の拡大は文明を極めることであるけれども、専ら「利を主とす」るために、「大(だい)和(わ)を保(ほう)合(ごう)する」道には反する面もなきにしもあらず。
