「先んずれば迷いて道を失い、後(おく)るれば順(したが)って常を得(う)。西南に朋(とも)を得るは、乃ち類と行くなり。東北に朋を喪うは、乃ち終(つい)に慶(よろこ)び有るなり」とあるが、ここから先は神道によって地の道に応ずることを明らかにした文章(占辞)である。陰はあらゆる物事において先んずることはない。必ず陽に柔順であることを常とする。坤為地は全てが陰爻である。陰は暗闇であり迷いである。それゆえ、先んじて事をなし道を行くときは迷って針路を誤る。だから、陽の命の泉のようなパワーを承けて(陽が先んじて)後れて行くときは柔順であるがために常の道を得る(物事が成就する)のである。「先んずれば迷いて道を失い、後(おく)るれば順(したが)って常を得(う)」と言う。
太陽は東北から昇って西南に沈んでいく。易においては東北を進むと考え西南を退くと考える。しかも西南は陰(坤)の位で物事が成就する(形に成る)場所である。巽(東南)離(南)坤(西南)兌(西)を陰の場所とする。東北は陽(艮)の位で物事が生まれ始まる場所である。乾(西北)坎(北)艮(東北)震(東)を陽の場所とする。坤が西南に行くときは西南は陰の場所なので朋友を得ることができる。東北に進むときは東北は陽の場所なので朋友を喪うことになる。ところが、東北に進むことが柔順である陰の役割だと知らずに、朋友を得ることだけを喜んで西南に進むときは、全ての存在が柔であり自分も柔である。自分は暗闇であり全ての存在も暗闇である。このようになれば全く利するところがないどころか、柔が益々柔になり、暗闇が益々暗闇となる。
