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十月二十四日 金曜日 五十二.艮為山☶☶九三
四時一寸過ぎに起床。
今日もマロンちゃんとみかんちゃんとわたしが政治について占筮する。
マロンちゃんが卦辞・彖辞の解釈、みかんちゃんが大象伝と高島嘉右衛門の占断の解釈、わたしが爻辞と高島嘉右衛門の占断の解釈を担当する。
本日は「高市政権が発足して参政党の支持率が低下したことに対して参政党の支持者はどのように思っているか」を占筮したところ艮為山☶☶九三が出た。
ネコちゃん占い師とわたしは次のように占断した。
マロンちゃんが卦辞・彖辞を解釈して次のように断じた。
○其(その)背(せ)に艮(とど)まり、其(その)身(み)を獲(え)ず。其(その)庭(にわ)に行き、其(その)人(ひと)を見ず。咎(とが)无(な)し。
艮の道は、止まって動かない。それは、般若心経の「照(しよう)見(けん)五(ご)蘊(うん)皆(かい)空(くう)」の境地である。「照(しよう)見(けん)五(ご)蘊(うん)皆(かい)空(くう)」とは、「五(ご)蘊(うん)(色(しき)受(じゆう)想(そう)行(ぎよう)識(しき))皆(かい)空(くう)」と「照(しよう)見(けん)」する境地に至ることである。また、「色(しき)受(じゆう)想(そう)行(ぎよう)識(しき)は皆(かい)空(くう)」ゆえ「眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜつ)身(しん)意(い)は無」である。すなわち、あらゆる現象は究極的には空だから、「眼(げん)耳(にー)鼻(びー)舌(ぜつ)」などの感覚器官は何も感じない(感じても心動かさない)。艮の卦德は「止まる」ことである。艮為山の時は、「眼(げん)耳(にー)鼻(びー)舌(ぜつ)」という感覚器官のない背中に止まっているから、自我に囚われない。また自我に囚われないから、庭に行っても人を見ない。すなわち外界の如何なる刺激に対しても、煩悩妄想や欲望を抱かない。どのような境遇に置かれても動じることがない。艮為山の時は、あらゆる現象に惑わされない。このような境地に達すれば、咎という概念すらなくなる。
マロンだニャン。艮為山☶☶は「止まって動かない」時。参政党の支持者は参政党のことを心から信じているから支持率が低下しても動じないということだニャン。卦辞・彖辞に「どのような境遇に置かれても動じることがない」とあるのも同じ意味だニャン。
みかんちゃんが大象伝と高島嘉右衛門の占断を解釈して次のように断じた。
○象に曰く、兼(けん)山(ざん)は艮なり。君子以て思ふこと其(その)位(くらい)を出(い)でず。
山が連なっている。「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり(論語)」とあるように、立派な人は自分の持ち場を大切にする。すなわち、その止まる所に止まり(持ち場でやるべきことをやり)、決して己の分限(天命)を超えない。
☆篤実な心を保って、すでに着手している事はその調子で進め、まだ着手していない事には手を付けてはならない。また、他人の人間関係には口を出してはならない。外界の様々な現象に対して、できるだけ反応しない(動じない)ようにすべき時である。
みかんだニャン。大象伝には「持ち場でやるべきことをやり、決して己の分限(天命)を超えない」とある。マロンちゃんと同じく、参政党の支持者は参政党のことを心から信じているから支持率が低下しても動じないということだニャン。高島嘉右衛門の占断に「外界の様々な現象に対して、できるだけ反応しない(動じない)ようにすべき時」とあるのも、そのことを裏付けているニャン。
わたしが爻辞と高島嘉右衛門の占断を解釈して次のように断じた。
※第三段階の「小さな物語」心中、煙で燻(いぶ)されたようにもやもやしている
○九三。其(その)限(げん)に艮まる。其(その)夤(いん)を列(さ)く。厲(あやう)くして心を薫(くん)す。
貴方は上卦と下卦の境目にある。人間の身体に例えれば「腰」である。貴方は動くべき時は動き、上卦(為政者・役員)と下卦(臣民・従業員や顧客)をつなぐ重要な任務(腰は上半身と下半身をつなぐ重要な役割)を担っている。しかし、現場の長(身体の要)である貴方は止まることに固執するので、上卦と下卦(為政者と臣民、役員と従業員や顧客)のつながり(上半身と下半身のつながり)を断ち切ってしまう。任務不履行で現場の長(身体の要)としての立場は危うく、心中、煙で燻(いぶ)されたようにもやもやしている。
☆苦労ばかりして幸福からは見放されている。自分の悲運を嘆いてばかりいる。自己変革によって幸運を掴みとる努力をするべきである。自ら事を為そうとするが思ったようにならない。心痛のあまり病気にかかって倒れかねない時。門前で怪我をする(あと一歩で挫折する)。
艮為山☶☶九三は「もやもやしている」時。参政党の支持者は支持率が下がったことに動じていないが、なんとなく「もやもやしている」ということだ。爻辞に「心中、煙で燻(いぶ)されたようにもやもやしている」とあるのも、そのことを裏付けている。高島嘉右衛門の占断には「苦労ばかりして幸福からは見放されている」とある。支持者の中には活発に支援活動をしている人が少なくないので、高市政権の支持率が高く、参政党の支持率が下がったことに忸怩たる思いを感じている人もいるのだろう。
