高島易斷自叙(自序)現代語訳
肉体の遺伝は幾久しく悠久の命の流れであるが、わたしたちの心魂(誠の心、孚)は、天地(※太極)のパワーが発する命の泉から受け継いだものだから、天地(※神仏)が内包する精氣そのものである。 ※太極=天地=神仏 けれども、わたしたち人間の心の性質は、御霊のような明るさはなく、神仏の絶妙で明るい性質とは懸け離れているのはどうしてであろうか。 私慾が蠢く肉体に抑え妨げられて、本来具えているはずの明るさを塞ぎ覆われているからである。 けれども、わたしたち人間の心や魂の実体(本来の姿)は、未だ嘗て、その御霊の明るさを欠損したことはない。(衆生本来仏なり) それゆえ、充分に一時の私欲を洗い流して、天地(神仏)から与えられた本心(清明心)に復り、仮に筮竹を用いて神事として易占を立て、神仏の御霊に接して、宿命を神仏から授かることを得るのである。 神仏の御霊に接したら、あなたが易占に問うことを授からないことは無く、将来の事が疑いようもなくハッキリと示されないことはない。 そして易占(易経)が伝える言葉(文章)は、一つの卦、一つの爻毎に天の形、地の形、幽冥(冥土やあの世)に関すること、人事に関すること、あらゆる物事、遙かに離れた所や時代に関すること、あらゆる変化に関することに通じており、その言葉(文章)は真実や真理を含んでいるから、時に宜しく対応することを発揮しないことはない。
白倉信司. 明治十九年出版 高島易斷 卷第一 現代語訳 (pp.10-11). Kindle 版.
