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天命に生きる日本の教え講座 安岡正篤「人生手帖」に学ぶ

安岡正篤一日一言を読み解く

四月二十六日の言葉 親父の役割

人間はやはり、良心・霊性・魂にひびかなければ、何事も真の解決は出来ないのであります。
然(しか)もそういう純な心はもう二つ三つの幼児の頃から、子供は本能的に鋭敏に受け取ることが出来る。だから子供は言説で教えるよりも、情的に感じ取らせることの方が大事なのです。親父は千言万言を費やして説教するよりも、黙って子供に見せることであります。(以上、安岡正篤一日一言から)

これは実に耳が痛い…言葉であります。以前のわたしは、息子どもに対して言説で教えることばかりを意識して、情的に感じ取らせるということをまったく意識しておりませんでした。また、家内や母親に対しても、論理を振りかざすばかりで、情的に接するということにまったく欠けていました。論理というものを過信するあまり、情理というものの大切さを疎(おろそ)かにしてきたのです。しかし、安岡先生の本を読み、「家族には理で接してはいけない。情で接しなければならない」ということを知り、「あぁたしかにそうだ」と思うようになってから、できるだけ、論理を振りかざすことはやめて、情理で接するように心がけるようになりましたが、これがなかなか難しい。なかなか出来ないのです。
みんなが仲良く暮らしている時は、情理で接することは難しいことではないのですが、何か問題やトラブルが起こったときに、どうしても情理で接するというよりも、論理で接してしまうのです。つまり、「これは、こうするべきである。それなのに、あなた(お前)は、このようにしている。だから、このようにしなければならない」という感じで相手を論理で責めてしまうのです。すると、仕事柄理屈に長けているわたしが発する正論に対して、相手は論理では反論できなくなり、感情、すなわち情で、対抗してくる。そうなってしまうと、問題やトラブルは解決するどころか、悪化してしまい、同時にお互いに嫌な感情を残したまま、ギクシャクした関係となってしまいます。
そのようなことが続いてきました。しかし、最近では、情的に対応することが、できるようになってきたように思っています。それは、父を亡くした時に、母が「お父さんは、私が言うことは何でも、うん、うんと肯定してくれた。だから、私はやりたいことをさせて頂くことができた」と呟いた言葉が、わたしの脳裏にしっかりと焼きついたからです。
その言葉を聴いて「あぁ、たしかに親父はお袋に対して、論理で反論するということをしない人だった。いつも、うん、うんと受け入れていた。それは凄いことだ」と思いました。そのような親父の偉大さに、生前まったく気がつかなかった自分が情けなく思いました。そして、自分は親父からそのような遺伝子を受け継いでいるはずだ。今まではその遺伝子がオフになっていたけれども、これからをオンにして生きていこう。と誓いました。
以来、家族が言ったことに対して、論理で言い返すことは絶対にしない、ということを自分なりに守るようになりました。明らかに自分が正しいという場合でも、絶対に論理で言い返さないように心がけてきました。その結果、最近は家族間の関係が以前よりも良好になってきているように思います。

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