第三章 天命に生きる童子教の教え
夫(そ)れ貴(き)人(にん)の前に居ては
顕(けん)露(ろ)に立つことを得ず
道路に遇(お)うては跪(ひざまず)いて過ぎよ
召(め)す事(こと)有(あ)らば敬(うやま)って承(うけたまわ)れ
地位の高い人や立派な人の前では(夫(そ)れ貴(き)人(にん)の前に居ては)、あなたが目立つような立ち居振る舞いをしないようにしなさい(顕(けん)露(ろ)に立つことを得ず)。
(年上の人やお世話になった人にに)道で会った時には跪(ひざまず)いて(立ち止まって頭を下げて)通り過ぎるのを待ちなさい(道路に遇うては跪(ひざまず)いて過ぎよ)。何か用事を申しつけられたら、慎んでお受けしなさい(召す事有らば敬って承れ)。

嘗(かつ)ての日本人は「天命に生きる」人生を歩んでいた。「実語教」や「童子教」など、古くから伝わる日本の教えを學んだからである。今の日本人は古くから伝わる日本の教えを學ばなくなってしまった。そろそろ、日本の教えを取り戻さないと、日本が日本でなくなってしまう。そんな思いで本書を書いた。
実語教では「天命」のことを「天地」といい、それは「父母」と「孝」、あるいは「師君」と「仕」の相互作用で成り立つ。そのことを「父母は天地の如く、師君は日月の如し。(中略)父母には朝夕に孝せよ。師君には昼夜に仕えよ」と書いてある。
童子教では「天命」のことを「仏」といい、それは「仏道を求む」と「仏道を成ず」の相互作用で成り立つ。そのことを「(前略)花を折って仏に供する輩(ともがら)は 速やかに蓮(れん)台(だい)の趺(はなぶさ)を結ぶ。上は須(すべから)く仏道を求むべし 中(なか)ばは四(し)恩(おん)を報ずべし。下(しも)は徧(あまね)く六(ろく)道(どう)に及ぶ 共に仏道を成(じよう)ずべし」と書いてある。
実語教と童子教が普及したのは、江戸時代に寺子屋のテキストとして用いられたからである。実語教は平安時代の終わり頃に成立したと言われ、明治時代になっても読まれていたという。何と千年近く子供たちのテキストとして読まれ続けてきたのだ。童子教は鎌倉時代の終わり頃に成立したと言われている。いずれにしても、長い期間にわたって子供たちは「実語教」と「童子教」を読んで人格を形成した。
今の「自分のために生きる」日本人に、是非、「実語教」と「童子教」を読んでいただき、「天命を生きる」人生を歩んでほしいと思う。