ヒュースケンによると、一八五七年の下田でも状況はおなじだった。「女が祈っているのはつねに見かけるが、男のそういう姿をめったに見かけないというのはじつに注目すべきことである」。(P526)(ヒュースケン「日本日記」岩波文庫一九八九年)
一八五九年から翌年にかけて英国箱館領事をつとめたホジソンは言う。「私は十六ヵ月間、寺の近くに住んで、参詣人の大部分があらゆる階級の婦人と、子供と乞食であることに気がついた。儀式に参列する男子は主として商人、小売商人、下層社会の人々で、その数も大した数ではない。その地位の上下を問わず双刀を帯びた武士が仏寺に詣でるのは、友人の葬式か、物故した英雄や主君の法要の時以外、きわめて稀である」。
(P526)(ホジソン「長崎函館滞在記」雄松堂出版・一九八四年)
ベルクによれば「教養ある日本人は、本当は仏教とその僧侶を軽蔑している。…それは、下層階級と同じように僧侶のばかばかしいいかさま説法の対象となるのは、威信を下げると彼らが思っているからである」。(P527)
(ベルク「オイレンブルク日本遠征記・上巻」)
