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天命に生きる日本の教え講座 安岡正篤「人生手帖」に学ぶ

安岡正篤一日一言を読み解く

四月二十一日の言葉 六十にして六十化す

『淮南子(えなんじ)』に、「?白玉(きょはくぎょく)、行年五十にして四十九年の非を知り、六十にして六十化す」という名言がある。これは人間に通じて来ないとわからない。年をとるにつれて身に沁(し)む言葉だ。
人間は五十歳にもなれば或る程度人生の結論に達する。と同時に心のどこかに自らを恕(ゆる)す、肯定しようとする意志が働く。その時に「五十にして四十九年の非を知る」、今までの自己を一度否定することは、これは非常に難しい。(以上、安岡正篤一日一言から)

過去の非を知り、自分が自分に結論を下すことは、新たにやり直すことであって、五十になってやり直し、六十になればなったでまた変化する。いくつになっても溌剌として維新してゆくことだ。
わたしは今年四十八になります(註:これは約六年前に書いた文章です。そろそろ五十四になります…)。五十まであと二年ちょっとしかありません。はたして、行年五十にして四十九年の非を知ることができるか…と考えると、安岡先生がおっしゃるように非常に難しいことだと思います。
五十ともなれば、或る程度人間として成熟してまいりますから、それを一度否定して変化していくということは、普通の人には、なかなか出来ることではありません。五十ともなれば、これまでの人生、これでよかったんだ、こういう生き方でよかったんだと、普通は考えたくなるものであります。しかし、それではそれ以降進歩がない、ということもまた言えるわけであります。やはり、人間というのは日々新たに生まれ変わるべきでありますから、五十になってやり直し、六十になっても変化する。いくつになっても溌剌として維新してゆくことが求められるわけです。
維新とは、ある状態を破壊して急激に変化する革命とは異なり、それまで積み上げてきた思想や価値観を改めてよりよくすること、自己を一新することであり、大学に云う「物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知れば、則ち道に近し」であります。

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