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天命に生きる日本の教え講座 安岡正篤「人生手帖」に学ぶ

安岡正篤一日一言を読み解く

四月十八日の言葉 本質と附属

人間には、これあるによって初めて人間であるという本質的要素と、必ずしもそうでない附属的要素との二つがある。古神道でいう、心が明るい、清い、汚れがない、人を愛する、人を助ける、人に報いる、精進する、忍耐する等々の徳性こそがその本質だ。これあるによって初めて人間となり得るのである。これに対して、智能や技能というものはあるにこしたことがない。確かに大事なものだけれども、それは特別の例外を除けば程度の差というべき付属的要素である。それよりも更に大切なのは、良い習慣、習性を持つことである。(以上、安岡正篤一日一言から)

安岡先生の本を初めて読んだときに、もっとも印象的だったのが、徳性こそが人間の本質的要素である、というこの言葉でした。大秀才で東大在学中に書かれた「王陽明研究」により識者にその名を知られるようになった安岡先生は、遥かに年配の海軍大臣の八代氏に師として仰がれるようになり、その頭脳を国家のために役立てるべく軍役をも免除されるという破格の待遇を受けたのでありました。その安岡先生にして、この言葉です。
「これあるによって初めて人間であるという、本質的要素は徳性であり、それは心が明るい、清い、汚れがない、人を愛する、人を助ける、人に報いる、精進する、忍耐する等々である」。科学至上主義のもと知識・技術を過信する現代人にとって、耳の痛い、目から鱗の言葉であります。人間が生きていくうえで欠かせない宗教をまったく教えず、道徳教育も形骸化してしまった知識偏重主義の戦後教育によって、わたしたちは人間としての本質的要素である徳性を磨くことを怠り、機械のように知識・技術を詰め込むという教育に終始した結果、当然の如く、人間としてもっとも大切な心を、すなわち、「心が明るい、清い、汚れがない、人を愛する、人を助ける、人に報いる、精進する、忍耐する等々の徳性」を忘却してしまったのです。
今の社会で、親が子を殺す、子が親を殺す、旦那が奥さんを殺す、奥さんが旦那を殺す、恋人が恋人を殺す、子供が子供を殺すなどという、大変に痛ましい事件が続発しているのは、知識偏重主義の戦後教育によって徳性を蔑(ないがし)ろにしてきた、当然の帰結であるように思います。

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