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時の物語 周易六十四卦 校正 45

六十二.適度に抑制して謙遜する時

 人間は大概「小人(普通の人、平凡な人)」だ。本書は難解と言われる易経を、基礎知識がなくても理解できるように六十四の物語として描いてきた。易経には「小人」では駄目だ。「君子(立派な人)」や「大人(もっと立派な人)」を目指せと書いてあるが、現実には難しいことだ。だが、小人でも私利私欲や煩悩を適度に抑制して謙遜すれば「君子」に近付いていくことができる。それが「適度に抑制して謙遜する時」である。

 「適度に抑制して謙遜する時」の主人公は「君子(立派な人)」を目指しているが、なかなか君子になれない「小人(普通の人、平凡な人)」の「あなた(わたし)」である。

 わたしは平凡な人間だが、このまま一生を終えたくない。萬物の霊長と呼ばれる人間に生まれた以上、人間らしい生き方をして死んでいきたい。哲学・思想・宗教の本を読むと、人間らしい生き方とは「君子(私利私欲や煩悩を乗り越えた立派な人)」を目指すことだと書いてある。そこで、君子を目指して仕事や生活をしているが、私利私欲や煩悩を乗り越えることが一向にできない。今年三十八歳になるが、このままでは一生君子になれずに小人(普通の人、平凡な人)のままで終わりそうだ。これではいけないと思って、哲学・思想・宗教全ての教えを網羅している易経を読んでみると、わたしにもできそうな五つの教えが書いてある。わたしのこれまでの生き方と照らし合わせながら、色々と考えてみたい。

一.何事も少々控え目にせよ。やり過ぎはいけない。ほどほどにせよ。
 物心つく頃から両親は共稼ぎで毎日帰りが遅かった。小学校時代帰宅しても誰もいない。一人っ子なので話し相手もいない。テレビを見たり、ゲームをしたり時間を潰していたが、時間が余って退屈だった。夕食は母が朝作ったおかずと御飯と味噌汁をレンジで温めて食べる日が多く、週末を除いて両親と一緒に夕食をした記憶はほとんどない。そんな毎日だったから、母が早く帰ってくるとうれしかった。話したいことが山ほどあり、いつも自分を見ていてほしいと自己主張することが多かった。それが習慣となり、人間関係においてわたしは過度に自己主張するようになった。自分はここに居るよと相手に伝えなければ、相手が居なくなってしまうと思うからだ。この教えは実に耳が痛い。わたしがしてきたことと正反対のことが書いてある。これからは可能な限り自己主張は止めて控え目にしたい。

二.謙遜・謙譲を心がけよ。少々謙遜・謙譲に過ぎるほどがよい。
 一つ目の教えと同様、わたしに欠けていることだ。自分の存在をアピールするために過度に自己主張してきたわたしは謙遜・謙譲することなど考えたこともなかった。学校に行っていた時も社会に出てからも、自分を過信して前にグイグイ出て行くことが多かった。以下省略。

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