四十六.どんどん昇って行く時
大地から芽を出した樹木が目に見えて大きく育つように、物事が目に見えて進化するのが「どんどん昇って行く時」。樹木が目に見えて進化するのは、種が養分を吸収するからだ。種はあなたで養分は社会。種のあなたが社会から沢山の養分を吸収すれば、あなたは目に見えて進化する。種のあなたが社会から養分を吸収できなければ進化できない。種も社会も周くこの世に存在する。進化するもしないも種の吸収力にかかっている。
「どんどん昇って行く時」の主人公は今は懐かしい三丁目の夕日の世界、経済が目に見えて進化した高度成長時代を体験した「あなた(わたし)」である。
昭和二十年大東亜戦争に敗れて焼け野原となった日本は、敗戦から十年後の昭和三十年、時の首相が「もはや戦後ではない」と宣言し経済復興が本格化した。高度経済成長の幕開けである。昭和三十年生まれのわたしは高度経済成長と共に成長した。わたしが幼稚園に通っていた頃、空襲から逃れた築三十年のわが家は、現在のモダンな住宅とはかけ離れたぼろ家だった。隙間風がピューピュー吹き、家の前の舗装されていない道路を滅多に走らない自動車が時々通ると小石が飛んで、薄っぺらい窓ガラスが割れることが度々あった。令和の今とは比べようがないほど貧しかったが、世間は活気に溢れていた。わたしと同年代の子供たちは街中で缶蹴り、ビー玉、かくれんぼなどをして遊び回っていた。
わが家は普通の家庭で母は専業主婦、父はサラリーマン。当時は働いている母親はほとんどおらず専業主婦が当たり前だった。冷蔵庫も洗濯機も掃除機もなかったので、家事に追われて母親は大変だった。自動車は高級品でお金持ちしか乗っていなかった。サラリーマンは徒歩か、バスか鉄道などの公共交通機関を利用して通勤した。経済の成長と共にわたしたちの生活は目に見えて進化した。歩いて通勤していた父が自転車を買って喜んでいた。庶民が経済成長という社会の養分を吸収して、毎日のように進化した。
直ぐに洗濯機も普及して母親の家事負担は軽減した。生ものを保冷できる冷蔵庫も当たり前になり、毎日買い物しなくてもよくなった。町の電気屋さんに行って見ていたテレビ番組も東京オリンピックがきっかけでテレビが普及し、父親中心だった家族団らんの場がテレビ中心となって父親の威厳が失われ始めた。わたしの父は自転車通勤からバイク通勤となり通勤時間が短くなった。しばらくすると、庶民も自動車に乗れるようになり、父もローンで自動車を購入して自動車通勤するようになった。自動車の普及によりわが家の前を走る道路も舗装され小石が飛んで窓ガラスが割れることもなくなった。以下省略。