小人(陰)の立場から見れば、君子(陽)を追い詰めているが、君子(陽)の立場から見れば、君子(陽)が復活して力を蓄え、これから小人(陰)を追い詰めていこうと準備しているのだ。
そもそも小人(陰)は君子(陽)がいるから生きていけるのである。君子は人の上に立つことを前提に己を磨いている。やがて指導者として色々な組織を率いることになる。組織を率いる者は己の利益を優先してはならない。部下や社会のことを考えて行動する。だから、小人は指導者にはなれない。己の損得を優先するから指導者になってはならないのである。よって、君子を追い詰めて剝ぎ落としてしまえば指導者がいなくなる。指導者がいなくなれば組織は乱れる。結果として被害は小人に及ぶのである。
剝ぎ落とされる君子の立場で見れば、坤為地を経て、やがて地雷復で復活するのである。山地剝の時に一陽としての力を最大限発揮すれば、一旦剝ぎ落とされたとしても、その力で地雷復の時に復活するのである。ならば、山地剝の時に一陽としてやるべきことをやりきる。それが君子の道であり、そのような君子に小人は迂闊に手を出すことができなくなる。
以上が山地剝の概要である。
ここから先は原文(漢文と書き下し文)を示した上で、初心者でも理解できるように意訳していく。
剝、不利有攸往。
○剝(はく)は往(ゆ)く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。
剝は陰気が増長して盛んになり陽気を押し出す(一陽五陰の)時。下から漸次に長じてきた陰氣が浸食する力に山が剝ぎ落とされて平地になる(下流階級と中流階級、上流階級の一部が腐敗・堕落してしまい、極めて少数の上流階級の人や一部の人格者だけが道を守っている)ように、君子(陽爻)が小人(陰爻)に(一陽五陰にまで)追い詰められてしまった。
人事に当て嵌めた場合、このような陰陽消長の流れの中で、君子(極めて少数の上流階級の人や一部の人格者)は積極的に行動してはならない(積極的に行動すればあっという間に追い詰められてしまう)。陰氣が浸食する時勢に順い止(とど)まって、様子を窺(うかが)うべきである。以下省略。