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人生を豊かにする論語意訳 抜粋 その三

八(はち)佾(いつ)篇第三

八佾第三、第一章
孔子謂季氏。八佾舞於庭。是可忍也、孰不可忍也。
孔子、季氏を謂う。「八佾庭に舞わす。是をも忍ぶ可くんば、孰(いず)れか忍可からざらん」。
(魯の重臣の季孫氏が天子〔周王朝の君主〕にしか許されていない縦横八列・六十四人で行う舞を自分の家廟の庭で行った。季氏は周の諸侯・魯の家臣・卿大夫の身分でありながら、天子にしか許されていない舞を祭祀の折りに行わせたので、)孔先生が、季氏の専横ぶりを批判した。
「(諸侯の家臣に過ぎない季氏が)八佾の舞を自分の庭で行わせた。こんな僭越なことを堂々とするようになってしまっては、今後はどんなことでもやりかねない」。20111025

この章に出てくる重要な言葉(概念)
季氏:季孫子のこと。季孫氏(季氏)、孟孫氏、叔孫氏の三家(さんか)は魯国君主の桓公の分家であるので三桓と称し、魯国の重臣として代々勢威があった。孟孫氏、叔孫氏は側室の子であるが季孫氏は正妻の子であったので、季孫氏が三家の筆頭格であった。そこで季孫氏は自邸に桓公の廟を建てて他の二家と一緒に祭っていた。魯国の始祖、周公旦は周王朝から特別待遇を受けていたことから、魯国の君主は本来天子(周王朝)にしか許されない八佾の舞を祭祀の折りに行わせていた。それを季孫氏が祖先の桓公を祭るために八佾の舞を行わせたのである。これは魯国の君主と同格となるばかりでなく、天子である周王朝と同格となるので、孔子はそれを批判したのである。しかし、孔子は季孫氏との政治的な関係が長かったので、大っぴらに言ったのではなく、弟子に述べた言葉であろう。(加地伸行「論語」を参考にした)
八佾:佾は舞の列。天子は八、諸侯は六、大夫は四、士は二と決まっている。一列の人数は列の数と同じなので、八佾は八×八=六十四人で舞う。(宇野哲人「論語新釈」を参考にした)

八佾第三、第二章
三家者以雍徹。子曰、相維辟公。天子穆穆。奚取於三家之堂。
三(さん)家(か)は雍(よう)を以て徹す。子曰く、「『相(たす)くるに維(これ)辟(へき)公(こう)あり。天子穆(ぼく)穆(ぼく)たり』と。奚(なん)ぞ三家の堂に取らん」。
 魯の大夫の三家(孟孫、叔孫、季孫)の人たちが、(本来なら天子の宗廟の祭りに歌う)雍(よう)を歌いながら供物を捧げた祭器を取り下げた。
(これに対して)孔先生が批判した。
「(雍の詩には)『相(たす)くるに維(これ)辟(へき)公(こう)あり。天子穆(ぼく)穆(ぼく)たり/天子のお祭りには、諸侯が相寄ってお手伝いをし、天子は奥ゆかしく控えておられる』とある。雍の歌は天子のお祭りにだけに用いられる。諸侯の家臣である三家のお堂にどうして諸侯が相寄るであろうか。三家の天子気どりをどうして許しておけようか」。
20111025
この章に出てくる重要な言葉(概念)
雍:詩の名前、詩経にある
徹す:祭がすんでから供物を下げること
相くるに維辟公あり:辟公は諸侯、諸侯が天子を助けて祭を行うのである
天子穆穆たり:祭の主人公である天子は穆穆(深遠)たる様子をしている
取る:取り用いる
堂:家廟の表座敷

八佾第三、第三章
子曰、人而不仁、如禮何。人而不仁、如樂何。
子曰く、人にして不仁ならば禮を如何。人にして不仁ならば樂を如何。
 孔先生がおっしゃった。
「(禮樂を通じて德を発することを仁という。)仁(思いやりの心)に至らなければ、禮があっても何になろう。仁(思いやりの心)に至らなければ樂があっても何になろう」。20111025

この章に出てくる重要な言葉(概念)
禮楽:「禮」は、規範を形に表現したものであり、音「楽」がそれに伴なう。この禮楽の學習が孔子學団の主たるカリキュラムであった。広くは、知識・學問・文化を表す。(加地伸行著「論語」を参考にした)

八佾第三、第四章
林放問禮之本。子曰、大哉問。禮与其奢也寧倹。喪与其易也寧戚。
林(りん)放(ぽう)、禮の本(もと)を問う。子曰く、大なる哉(かな)問いや。禮は其の奢(おご)らんよりは寧(むし)ろ倹(けん)せよ。喪は其の易(おさ)めんよりは寧ろ戚(いた)め。
 林(りん)放(ぽう)が禮の根本は何かと質問した。
(当時魯の家臣は、本を忘れ禮の末節に走っていたので、林放の禮の根本に対する質問に対して)
 孔先生は喜んで次のように答えた。
「それは大変善い質問だ。禮の根本は過不足無いこと。華やかであるよりは、控えめであることが大切だ。葬禮においては、手順が行き届いていることより、心から悼むことが大切だ」。
20111026
この章に出てくる重要な言葉(概念)
大なる哉(かな):林放が禮の本質を聞いたので大いに喜んだ
寧(むし)ろ:どちらかを選ぶとすればこちらを選ぶ、という感じ
倹(けん):倹約、控え目、つづまやか、地味なこと
易(おさ)む:治める、儀式や作法を立派に執り行うこと
戚(いた)む:哀悼すること、悼むこと

八佾第三、第五章
子曰、夷狄之有君。不如諸夏之亡也。
子曰く、夷(い)狄(てき)も之(これ)君(きみ)有り。諸(しよ)夏(か)の亡きが如くならざる也。
子曰く、夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如(し)かず。
 孔先生がおっしゃった。
「(中国よりも歴史文化に劣る)夷狄の國(外国)であっても天子を頂点に諸侯が補佐して諸國を治めているが、今の中国は、諸侯が天子を蔑ろにしている。歴史文化のある國として実に情けないことである」。
(孔子の思想ではなく、中華思想一般としては、)
「夷狄(野蛮人)の國でも天子を頂点に諸侯が補佐して諸國を治めているが、諸侯が天子(君)を蔑ろにしている今の中国の状態には及ばない」。20111026

この章に出てくる重要な言葉(概念)
夷(い)狄(てき):中国の文化の恩恵を受けていない野蛮人。中国よりも東の国を夷(い)、北の国を狄(てき)という
諸(しよ)夏(か):中国のこと、諸は衆、夏は大の意味、人民が衆多で土地が広大だから諸夏

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