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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その二六

安民第九
【この篇、当時幕(ばく)藩(はん)は農民にひどい税をかけたから農民は飢え死にしたり、故郷をすてて都市にのがれた。また重い刑罰を用いて農民を土地から放(ほう)逐(ちく)した。このようでは農民は祖先の地に安(あん)居(きよ)楽(らく)業(ぎよう)することができない。国は疲弊するばかりである。「いやしくも民を憂うる心があるならば、なぜ適切な処置をしないのか」と幕政を非難した。(注)】

 柳(りゆう)子(し)いはく、魚の池にあるや、江(こう)海(かい)を思はざるなし。鳥の樊(はん)籠(ろう)にあるや、山林を思はざるなし。これ他なし、皆その自ら安んずる所なればなり。即(すなわ)ち民(たみ)の天下に於(お)ける、またしからずや。先(せん)王(おう)そのしかるを知り、これを視(み)ること子の如(ごと)く、これを樂しむべきをなし、而(しか)して民(たみ)これを樂しむ。これ既(すで)に安く、また既(すで)に樂し。ここを以(もつ)て民(たみ)の先(せん)王(おう)を視(み)ること、また猶(なお)その父母を視(み)るがごとし。孰(たれ)かその仁(じん)に歸(き)せざる者あらんや。詩にいふ、豈(がい)悌(てい)の君子は、民(たみ)の父母と。今それ浮屠(ふと)の教(おしえ)たるや、いはく、生きて善をなす者は、死して樂(らく)地(ち)に入り、百(ひやく)福(ふく)並び臻(いた)り、その惡をなす者は、則(すなわ)ち地獄に堕ち、苦悩窮(きわま)まりなしと。苟(いやしく)もその説を聴く者は、駸(しん)駸(しん)乎(こ)としてその善を勧(すす)めざるはなく、愀(しゆう)愀(しゆう)乎(こ)としてその惡を懲(こ)らさざるはなし。これまた他なし、その安んずる所を得るを欲すればなり。それ天(てん)堂(どう)と地獄とは、親しく見し處(ところ)に非(あら)ず、而(しか)して必ずしも到る地に非(あら)ざるなり。尚(なお)且(か)つその安(あん)樂(らく)を聞けば、則(すなわ)ちこれを喜び、その苦悩を聞けば、則(すなわ)ちこれを懼(おそ)る。豈(あ)にただにこれを喜(き)懼(かん)するのみならんや。

 大(だい)貳(に)先生(柳(りゅう)子(し))はおっしゃった。魚(さかな)は小さな池で泳いでいても、大河や大海のことを想像するであろう。鳥は窮屈な鳥籠の中に入っていても、山に林立している林のことを想像するであろう。魚が水に親しみ、鳥が林に親しみ、林が山に親しむのは、そこが彼らの安んずる所だからである。(魚や水や林と同じように)民衆が天下国家に親しむのは、そこが民衆の安んずる所だからである。
 昔から、歴代天皇陛下は、民衆が天下国家に安んずることの大切さを知っていたので、まるでわが子のように民衆を慈(いつく)しみ、民衆が安心して暮らせるような政治を行った。それゆえ、民衆は生活を楽しむことができた。天下国家は民衆の安んずる所となり、民衆は楽しく人生を謳(おう)歌(か)することができた。だから、民衆は歴代天皇陛下に対して実の父母のように恩義を感じた。誰一人として、その慈(いつく)しみの政治に感謝しない者はいなかった。
詩経に「やわらぎ楽しむ(注)君子は、民衆の父母のようである」と書いてある。ところが、今は、仏教の教えとして次のような考え方が民衆に定着している。すなわち、「生きているうちに善いことを行った人は、死んだら極楽に行って沢山の幸福を与えられる。しかし、生きているうちに悪いことを行った人は、死んだらは地獄に行って、耐えきれないほど沢山の苦痛や苦悩を味わうことになる」。以上のような仏教の教えを信じている人々は、とにかく善いことを積み上げようと急ぎ、悪いことを積み上げてはならないと怖れている。
 仏教の教えを信じる人々が、この(善いことを積み上げようと急ぎ、悪いことを積み上げてはならないと怖れる)ように考えるのは、自ら安んずる所を得るために善行を積み上げて極楽に行きたいと思うからである。誰も極楽と地獄に行ったことはないし、行くこともできない。だが、仏教の教えによると極楽は安楽の地だから、民衆は極楽に行きたいと切に願っている。また、地獄は苦痛や苦悩の地だから、民衆は地獄に行くことを怖れている。しかも、民衆は単に極楽に行くことを喜び、地獄に行くことを怖れているだけではない。

 甚(はなは)だしきは則(すなわ)ち妻子を舎(す)て、貨財を舎(す)て、饑(き)寒(かん)を患(うれ)へず、斧(ふ)鑕(しつ)を怖れず。死を視(み)ること歸(き)するが如(ごと)く、ただその遄(すみやか)ならざるをこれ憂(うれ)ふ。これまた他(ほか)なし、生きてかくの如(ごと)くならざれば、則(すなわ)ち死も安(やす)からざるなり。必ずしも得べからざるの安きを以(もつ)て、忍ぶべからざるの欲を斷(た)つ。これを魚(さかな)鳥(とり)の海山(うみやま)を思ふに比(くら)ぶれば、豈(あ)にまた甚(はなは)だしからずや。且(か)つ人(ひと)免(まぬか)るべからざるの患(うれい)と、雪(そそ)ぐべからざるの恥とあれば、則(すなわ)ち必ずいはん、死するに若(し)かざるなりと。凶(きよう)年(ねん)飢(き)歳(さい)に、走りて溝(こう)壑(がく)に赴(おもむ)く者は、免(まぬか)るべからざるの患(うれい)を避(さ)くるなり。敗軍の将、刀を引きて自決するは、雪(そそ)ぐべからざるの恥を知ればなり。これを以(もつ)てこれを觀(み)れば、安(あん)危(き)苦(く)樂(らく)の身に切なるは、死生よりも甚(はなは)だし。今天下の諸侯、國(くに)その政(まつりごと)を同じくせず、人その俗を同じくせず。而(しか)して不(ふ)學(がく)無(ふ)術(じゆつ)の徒(と)、目(もく)前(ぜん)の近(きん)利(り)に徇(したが)ひ、經(けい)久(きゆう)の遠(えん)圖(と)を忘れ、賦(ふ)歛(れん)省(はぶ)かず、刑罰措(お)かず、法令常(つね)なく、賞罰中(ちゆう)を失(しつ)す。則(すなわ)ち民(たみ)寧(ねい)處(しよ)に遑(いとま)あらず、此(ここ)を去って彼(かれ)に就(つ)き、彼(かれ)を出(い)でて此(ここ)に入(い)り、恟(きよう)恟(きよう)そしてただその免(まぬが)れんことをこれ求む。ここを以て四方の國(くに)、亡命して跡(あと)を滅(めつ)する者少(すくな)からず。而(しか)して土着の風(ふう)變(へん)じ、群(ぐん)聚(しゆう)の俗(ぞく)興(おこ)る。

 極端な人は、妻子や貨財を捨てて俗世間から隠遁してまで善行を積み上げ、飢えや寒さを物ともせず、死刑に処せられることすら怖れない。それどころか死ぬことこそが極楽へ行くことだと考え、極端な場合は、今すぐ死ねないことを心配するようになる。仏教の教えを心から信じている人々は、このように考えるようになり、生きているうちから切に死ぬことを願うようになる。死ぬことを願うようになれば、自然に死を迎えて極楽浄土へ旅立つことも難しくなる。
 必ずしも得ることができない安心感を求めて、抑えることができない欲望を断ち切ろうとする。こういう人間の心境を魚や鳥が大海や山林を必要とする思いに比べれば、禽獣とは異なる人間ならではの感情であろう。しかも、誰もが避けて通れない死を心配する心と生き恥を晒(さら)すことを屈辱と感じる心があれば、必ず次のような結論に達する。すなわち、「死んで極楽に行くしか心安んずる方法はない」と。
 凶作の年・飢(き)饉(きん)の年に、自らの意志で溝や谷間に身を捨てて自決する人は、免れることができない災難を自ら命を絶つことによって回避しているのである。大事な戦いに敗れた将軍が、腹を切って自決するのは、武士は生き恥を晒(さら)すべきではないことを知っているからである。以上のことから推察して、生きていくことに関して安心や危険、苦労や楽しみと云う自分の身に及ぶ切実な問題は、どのように生きるか、どのように死ぬかと云う人生観よりも深刻な問題なのである。
 現在、天下の諸侯を見ると、各藩によって政治の在り方や手法は異なる。風俗もまた各藩によって異なる。けれども、学問を怠っている役人や技術が未熟な役人は、目の前の一寸した利益に惹かれて、物のすじみちや道理は普遍的で遠大であることを忘れ、民から税金を搾(しぼ)り取り、厳しく刑罰を執行し、法律や規則を自分勝手に解釈して、賞罰を不公平に与える。以上のようであるから、民には安んずる所も暇もない。誰を信用したらよいのかも分からず、毎日、恐る恐る暮らして、とばっちりに巻き込まれないことを願うしかない。
 以上のことから、日本中の各藩においては、夜逃げするように脱藩して姿を眩(くら)ます人が少なくない。その結果、各藩に引き継がれてきた風俗が変化して、長い物には巻かれろと云う群集心理に基づく安直な風俗が蔓延(はびこ)るようになる。

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