さて、後半は風雷益である。
風雷益の初爻の爻辞に「初九。用(もつ)て大(たい)作(さく)を爲(な)すに利し。元(げん)吉(きつ)。咎无し。初九は剛健正位で位(くらい)は低いが六四の大臣(側近)に応じている(六四から益される)。上(外)を減らして下(内)を益する時において、柔順にして正位の大臣六四に抜擢され、大事業を成し遂げる。見事に大事業を成し遂げれば、周(まわ)りから称(しよう)讃(さん)される(為し遂げられなければ…)。(大事業を為し遂げれば、)勿(もち)論(ろん)、誰からも咎められない。」とある。
よって、七月になると、多くの国民は皇室のために何やお役に立ちたいと思うようになる。
二爻の爻辞に「六二。或(あるい)は之(これ)を益す。十(じつ)朋(ぽう)の龜(き)も違(たが)う克(あた)はず。永(えい)貞(てい)にして吉。王用(もつ)て帝に享(とお)す。吉。上(外)を減らして下(内)を益する時において、柔順中正の賢臣六二は、九五の天子(トップ)を始め、色々な人から益を与えられる果報者である。高貴な亀の甲(こう)羅(ら)を用いて本格的に占っても、占いの結果は六二に益を与える内容となる。幾(いく)久しく正しい道(道德)を固く守れば、幸運を招き寄せる。九五の天子(トップ)は賢臣六二を用いて神様仏様を祀り、神様仏様がこれをお受けになれば、さらなる幸運を招き寄せるであろう。」とある。
よって、八月には、国民と皇室の一体感はさらに高まる。場合によっては、現職総理が靖國神社を参拝して皇室と国民の一体感が高揚するかもしれない。
三爻の爻辞に「六三、之(これ)を益すに凶(きよう)事(じ)を用(もち)ふ。咎无し。孚(まこと)有り中(ちゆう)行(こう)あり。公に告(つ)ぐるに圭(けい)を用(もち)ふ。柔順不正(陰爻陽位)の六三は下卦震(雷動)の極点に居る(動き過ぎる・やり過ぎる)ので通常は益することは難しい。だが、非常時に(動き過ぎる・やり過ぎる)六三を用いて艱(かん)難(なん)辛(しん)苦(く)を克服すれば、咎(とが)を免れることができる。(動き過ぎる・やり過ぎる)六三は艱難辛苦を克服するために、至誠の心と中庸の德で事に中(あた)る。至誠の心が君主にまで伝われば、神を祭る五角形の玉(圭(けい))を献上するように信頼されるのである。」とある。
よって、九月は、皇室を尊崇する国民と参政党や新党くにもりなどの政治勢力が、日本にとっていかに皇室が大事なご存在であるかを訴えて、一定数の国民の支持を得る。
四爻の爻辞に「六四。中(ちゆう)行(こう)ありて公に告げて從はる。用(もつ)て依(い)を爲(な)し國を遷(うつ)すに利(よろ)し。六四は柔順正位の大臣(側近)。比する君主(トップ)九五の右腕として信頼されており、応じる賢臣初九には感謝されている(よく下を益する者である)。中庸の道に則(のつと)って下を益する意見を九五の君主に申し上げれば、九五の君主は六四の忠言に従うであろう。君主(トップ)に用いられれば、国の依る所(国益)を見定めることができる。国の安泰と人民の利益を図って遷都の大事業に取り組めば幸運を招き寄せることができる。」とある。
よって、十月になると、皇室と国民の一体感はますます強くなっていく。
五爻の爻辞に「九五。孚(まこと)有り惠(けい)心(しん)あり。問う勿(な)くして元(げん)吉(きつ)。孚(まこと)有り我が德を惠(めぐみ)とす。九五は剛健中正の理想的な天子(トップ)である。応ずる柔順中正の賢臣六二に慕われ誠意と慈(いつく)しみの心に満ち溢れている。上(外)を減らして下(内)を益する時において、大いに幸運を招き寄せることは問うまでもない。当然のことである。下(しも)々(じも)は九五の天子(トップ)の人德と恩恵に信服するのである。」とある。
よって、十一月には、皇室と国民の一体感はこれまでに見られないほど高まっていく。
上爻の爻辞に「上九。之(これ)を益す莫(な)し。或(あるい)は之(これ)を撃つ。心を立つること恆(つね)勿(な)し。凶。上九は陽爻陰位の不正の上、益の卦極(貪欲な性質の上卦巽の最上)に居るので、上(外)を減らして下(内)を益する道から外れ、己を益することを貪(むさぼ)る。そのような上九を誰も益そうとしない。或いは上九を討伐しようとさえする。上九は利益を求めてふらふらして、一向に心が安定しない。何をやっても失敗する。」とある。
よって、十二月になると、上皇上皇后陛下の言行が誤解されて、皇室と国民の一体感に綻びが見られるようになる。あるいは、上皇上皇后陛下の健康が不安定となり国民が心配する。
以上が、今年(令和四年)の皇室と国民の関係である。昨年(令和三年)傷付いた皇室の権威が回復して、これまで以上に国民との一体感が醸成される。心配なのは、将来に渡る皇室の継続と上皇上皇后陛下のご健康である。