乾坤其易之縕耶。乾坤成列。而易立乎其中矣。乾坤毀則无以見易。易不可見。則乾坤或幾乎息矣。
○乾坤は其れ易の縕(うん)か。乾坤、列を成して、易、其中に立つ。乾坤毀(そこな)はるれば則ち以て易を見る无し。易、見る可からざれば、則ち乾坤或は息(や)むに幾(ちか)し。
乾坤二卦には易の変化の蘊奥(「奥深いところ。奥義。極意」~広辞苑)が示されている。乾と坤が相対して並んでおり、乾坤二卦が様々な形で交わって易の変化物語が成立する。乾坤二卦のどちらかが存在しなければ易の変化の物語は成立しない。易の変化の物語が成立しないのは、乾坤二卦が存在しないことに等しいのである。
是故。形而上者謂之道。形而下者謂之器。化而裁之謂之變。推而行之謂之通。擧而錯之天下之民。謂之事業。
○是(こ)の故に、形よりして上なる者、之を道と謂ふ。形よりして下なる者、之を器(き)と謂ふ。化して之を裁(さい)する、之を變と謂ふ。推(お)して之を行ふ、之を通と謂ふ。擧(あ)げて之を天下の民に錯(お)く、之を事業と謂ふ。
以上のようであるから、形あるものの上位概念として存在している真理を道と言う。形あるものとして存在しているあらゆる現象を器と言う。あらゆる現象は生々化成する。それに適切に対処することを「變」と言う。「變」を推し広めて発展させることを「通」と言う。「變通」を「道」に適合させ、天下萬民を適切な方向に導くことを「事業」と言う。
是故。夫象。聖人有以觀天下之賾。而擬諸其形容。象其物宜。是故謂之象。聖人有以觀天下之動。而觀其會通。以行其典禮。繋辭焉。以斷其吉凶。是故謂之爻。
○是(こ)の故に、夫れ象は、聖人、以て天下の賾(さく)を觀(み)る有り、而して諸(これ)を其(その)形容に擬(なぞら)へ、其(その)物(ぶつ)宜(ぎ)に象(かたど)る。是の故に之を象と謂ふ。聖人、以て天下の動を觀る有り、而して其(その)會(かい)通(つう)を觀て、以て其(その)典(てん)禮(れい)を行ひ、辭を繋けて、以て其吉凶を斷ず。是の故に之を爻と謂ふ。
このようであるから易の象は、次のようなものである。(以下、繋辞上伝第八章と重複)