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陰陽古事記伝 少名毘古那の神と国作り その二

〇超釈(阿部國治著 栗山要編 新釈古事記伝 第三集 致知出版社 を参考にして訳した)
 さて大国主の神は各地に沢(たく)山(さん)のお妃(きさき)を迎え、そこを拠点として順調に国創りを進めていった。住民は、大国主の国創りに対して、決して文句や不平不満を言わなかった。でも、心の底から幸せそうにしている住民はいないように大国主には見えた。国創りは順調に進んでいるのに、どうしてだろう、なぜだろうと大国主の心は晴れなかった。ある日、大国主が出雲の美保の岬で佇んで、「どうしてだろう」「なぜだろう」と考えていると、海の彼方からガガイモで作った舟(蔓草の細長い実・二つに割ると舟の形になる)に乗って、蛾(が)の皮で作った粗末な衣服を着た神さまがやって来た。
 大国主がその神さまに名前を尋ねても、神さまは何も答えてくれない。大国主にお仕えしている神さま方に尋ねても誰も知らない。なぜか大国主は、その神さまに一目で魅了された。この神さまなら、今、大国主が悩んでいる国創りについて、きっと何か教えてくれるに違いないと直感したのである。ある日、大国主がその神さまの名前を知ってる者はいないだろうかと、考えながら歩いていると、普段なら気付きもしないヒキガエルが目が止まり、このヒキガエルが小さなこの神さまの名前を知っているに違いないと根拠もなく思った。すると、ヒキガエルは「ゲロゲロッゲロゲロッ」とカエルの言葉で何かを教えようとしている。大国主にはカエルの言葉は分からないが、どうしてもこの神さまの名前を知りたかったので、自分がヒキガエルになったつもりで、一所懸命にその言葉を聞いていると「ゲロゲロッゲロゲロッ」というカエルの言葉が「クエビコ、クエビコ」と聞こえてきた。そこで大国主がヒキガエルに「ゲロゲロッゲロゲロッ(クエビコ、クエビコ)」と話しかけると、ヒキガエルはうなずいた。クエビコとは案(か)山(か)子(し)のことである。ヒキガエルは「案山子なら出雲の国のことを全てお見通しなので、きっとこの神さまの名前を知っているよ」と教えてくれたのである。
 そこで、さっそく案山子のクエビコを探してきて、その神さまの名前を尋ねた。案山子のクエビコは「この神さまは、天地創造の時に三番目に登場した神産巣日の神(萬物を産み出す役割の陰の神さま)の御子(みこ)であられる、少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の神である」と教えてくれた。
 大国主は誰に尋ねても知らなかったこの神さまの名前をヒキガエルと案山子のクエビコが教えてくれたことは、大国主の国創りに、住民が心の底から幸せを感じていないことと、関係があるに違いないと思った。
 大国主の神は少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の神さまと一緒に高天原に参(ま)い上(のぼ)りして神産巣日の神さまにお尋ねしたところ、
「その子は確かに私の子である。私には多くの子どもがいるが、その子はあまりにも小さいので私の手のひらに載せておいたのだが、指と指の間から漏れ落ちて行方不明になっていたのだ。出雲の国に辿り着いたのも、何かの縁である。少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)よ、お前は大国主と兄弟となって、出雲の国創りを完成させなさい」と命じた。
 出雲の国に戻ると、大国主は少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)に住民が心の底から幸せを感じるような国創りをするためには、どうすればよいかと尋ねた。少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)は、どうして、あなたに仕えている神々はわたしの名前を知らなかったのに、ヒキガエルと案山子のクエビコは知っていたのか。その理由を考えてみるがよいと言った。
 大国主は「御(み)霊(たま)(命の泉)鎮(しず)め」をして、その理由をじっくりと考えてみたところ、ハッと気が付いた。大国主にとって、ヒキガエルも案山子のクエビコも、普段は全く目に止まらない存在であった。けれども、ヒキガエルも神さまや人間と同じ「命の泉」によって生かされている存在である。案山子を案山子たらしめている材料も同じ「命の泉」によってこの世に生まれてきた。
 これまでの国創りは農業の普及に始まる文明社会の構築ばかりに目を奪われて、山川草木生きとし生けるものに目を向けることを忘れていた。「命の泉」によって生かされている萬物と調和して生きていくことが神々や人間にとって幸せであることをすっかり忘れていた。
 以上の心境を少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)に伝えると、少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)は深く肯(うなず)きながら、次のように言った。
 「国創りの秘訣は、自分の存在を消し去ることである。わたしのように身体が小さいと誰もわたしのことを気付かない。わたしがどんなに善いことをしても、誰もわたしに感謝しない。わたしが誰かに感謝されれば、わたしに感謝した人は、わたしに気を使うようになる。だから、どんなに善いことをしても、胸を張ってはならない。誰にもわからないように、そっと善いことをして、誰にも気付かれない、誰からも感謝されない国創りこそ、本当の国創りなのだ。」
 大国主は、少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の教えに感動し、以後、少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の神を師匠と仰いで国創りを進めていった。「無名の国創り」である。みんなが心の底から幸せを感じる国創りを進めたので、出雲の国は争いのない笑いに満ちた理想の国に近付いていった。
 しかし、どういうわけか、理想の国の完成を待たずに少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の神さまは常世の国へ渡って行ってしまった。ところで、少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の名前を教えてくれた案山子のクエビコは、今、山田の案山子と呼ばれている田んぼの神さまである。自分の足で動くことはできないけれども、ありとあらゆることを知り尽くしている神さまである。
 少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の神さまが常世の国に渡ってしまってからの大国主は、心が空っぽになってしまったように、何をやってもしっくりいかなかった。理想の国に近付いていた出雲の国創りも停滞してしまった。師匠と仰いだ少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の神さまから教わった「自分の存在を消し去ること」もできなくなってしまった。失意の日々が続き、「わたし一人では理想の国を完成させることはできそうもない…。少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の神さまが戻ってこられないのならば、どなたか代わりの神さまに助けていただいて、出雲の国創りを完成させることはできないだろうか…」と、少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の神さまが渡って行った常世の国につながる海を見つめて途方に暮れていた。その時、目の前に広がる大海に光がサーッと射(さ)し込み、神々しい光のような「命の泉」の神さまが現れた。
 「命の泉」の神さまは、「わたしは、あなたの命の泉であります。あなたは、これまで少名毘古那の神さまの命の泉に包まれて、あなたの中にある命の泉を発揮して理想の国創りを進めて参りました。しかし、少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の神さまがいなくなってしまうと、あなたの中にある命の泉を引き出してくれた命の泉がいなくなってしまったので、あなたの命の泉は、あなたの中に籠もってしまいました。その命の泉をあなたの中から取り出してお祀りすれば、わたしも、あなたと共に理想の国創りを完成することができます。なぜなら、わたしは、あなたの命の泉だからです。もし、あなたが、あなたとわたしの命の泉をお祀りしなければ、理想の国創りを完成させることはできません。」と仰せになった。
 その言葉を聞いた大国主が、「どのようにして命の泉をお祀りすればよいのでしょうか。」と尋ねたところ、「命の泉」の神さまは、「わたしの命の泉を、奈良県に青々とした垣根のように巡らせている山々の東にある三輪山の頂(いただき)にお祀りしなさい」と仰せられた。
 このようにしてお祀りした神さまが、今、三輪山の上に鎮座している大(おお)物(もの)主(ぬし)の神さまである。


少名毘古那の神と国創りのまとめ

〇理想の国創り・理想のリーダー像
 少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)は深く肯(うなず)きながら、次のように言った。
 「国創りの秘訣は、自分の存在を消し去ることである。わたしのように身体が小さいと誰もわたしのことを気付かない。わたしがどんなに善いことをしても、誰もわたしに感謝しない。わたしが誰かに感謝されれば、わたしに感謝した人は、わたしに気を使うようになる。だから、どんなに善いことをしても、胸を張ってはならない。誰にもわからないように、そっと善いことをして、誰にも気付かれない、誰からも感謝されない国創りこそ、本当の国創りなのだ。」
 大国主は、少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の教えに感動し、以後、少(すく)名(な)毘(び)古(こ)那(な)の神を師匠と仰いで国創りを進めていった。「無名の国創り」である。みんなが心の底から幸せを感じる国創りを進めたので、出雲の国は争いのない笑いに満ちた理想の国に近付いていった。

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