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陰陽古事記伝 大国主神の国創り

大(おお)国(くに)主(ぬしの)神(かみ)の国創り

□あらすじ
 大国主の神は出雲の国創りにおいて、領土を広げるためさらに三人の妃を迎えて、子孫を繁栄させた。大国主が縁結びの神様と称される所以である。

【書き下し文】
故(かれ)、此(こ)の大(おお)國(くに)主(ぬし)の神(かみ)、胸形(むなかた)の奧(おき)津(つ)宮(みや)に坐(ま)す神、多紀(たき)理(り)毘賣(びめ)の命(みこと)を娶(めと)りて生みし子は、阿(あ)遲(ぢ)鉏(すき)高(たか)日(ひ)子(こ)根(ね)の神。次に妹(いも)高(たか)比(ひ)賣(め)の命(みこと)、またの名(みな)は下(した)光(てる)比(ひ)賣(め)の命(みこと)。此(こ)の阿(あ)遲(ぢ)鉏(すき)高(たか)日(ひ)子(こ)根(ね)の神は、今、迦(か)毛(もの)大(おお)御(み)神(かみ)と謂(い)う。大國主(おおくにぬし)の神、また、神(かむ)屋(や)楯(たて)比(ひ)賣(め)の命(みこと)を娶(めと)りて生みし子は、事(こと)代(しろ)主(ぬし)の神。また、八(や)嶋(しま)牟(む)遲(ぢ)能(の)神(かみ)の女(むすめ)、鳥耳(とりみみ)の神を娶(めと)りて生みし子は、鳥(とり)鳴(なる)海(み)の神。此(こ)の神、日(ひ)名(な)照(てり)額(ぬか)田(た)毘(び)道(ち)男(を)伊(い)許(こ)知(ち)邇(に)の神を娶(めと)りて生みし子は、國忍富(くにおしとみ)の神。此(こ)の神、葦(あし)那(な)陀(だ)迦(か)の神、またの名は八(や)河(がわ)江(え)比(ひ)賣(め)を娶(めと)りて生みし子は、速(はや)甕(みか)之(の)多(た)氣(け)佐(さ)波(は)夜(や)遲(ぢ)奴(ぬ)美(み)の神。此(こ)の神、天(あめ)之(の)甕(みか)主(ぬし)の神の女(むすめ)、前(さき)玉(たま)比(ひ)賣(め)を娶(めと)りて生みし子は、甕(みか)主(ぬし)日(ひ)子(こ)の神。此(こ)の神、淤加美(おかみ)の神の女(むすめ)、比那良志(ひならし)毘(び)賣(め)を娶(めと)りて生みし子は、多比理岐志麻流美(たひりきしまるみ)の神。此(こ)の神、比(ひ)比(ひ)羅(ら)木(き)之(の)其(その)花(はな)麻(ま)豆(づ)美(み)の神の女(むすめ)、活(いく)玉(たま)前(さき)玉(たま)比(ひ)賣(め)の神を娶(めと)りて生みし子は、美(み)呂(ろ)浪(なみ)の神。此(こ)の神、敷(しき)山(やま)主(ぬし)の神の女(むすめ)、青(あお)沼(ぬ)馬(ま)沼(ぬ)押(おし)比(ひ)賣(め)を娶(めと)りて生みし子は、布(ぬの)忍(おし)富(とみ)鳥(とり)鳴(なる)海(み)の神。此(こ)の神、若(わか)盡(つく)女(しめ)の神を娶(めと)りて生みし子は、天(あめの)日(ひ)腹(ばら)大(おお)科(しな)度(ど)美(み)の神。此(こ)の神、天(あめの)狹(さ)霧(ぎり)の神の女(むすめ)、遠(とお)津(つ)待(まち)根(ね)の神を娶(めと)りて生みし子は、遠(とお)津(つ)山(やま)岬(さき)多(た)良(ら)斯(し)の神。
 右の件(くだり)の八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神より下(しも)、遠(とお)津(つ)山(やま)岬(さき)帶(たらし)の神より前(さき)を十七世(とおあまりななよ)の神と稱(まを)す。

〇通釈(超釈はない)
 須世理毘賣(すせりびめ)と盃を取り交わして、永遠の夫婦として仲(なか)睦(むつ)まじくあることを誓った大國主(おおくにぬし)の神(かみ)であるが、出雲の国を開拓する(領土を広げる)ために、さらに三人の妃(きさき)を迎えて、子孫を繁栄させた(大國主が縁結びの神さまと称される所以である)。
 大國主(おおくにぬし)の神(かみ)が宗(むな)像(かた)の沖(おき)津(つ)宮(みや)に鎮座する神・多紀(たき)理(り)毘賣(びめ)の命(みこと)を妃に迎えて産まれた子は、阿(あ)遲(ぢ)鉏(すき)高(たか)日(ひ)子(こ)根(ね)の神である。次に産まれた子は妹(いも)高(たか)比(ひ)賣(め)の命(みこと)、またの名(みな)は下(した)光(てる)比(ひ)賣(め)の命(みこと)という。阿(あ)遲(ぢ)鉏(すき)高(たか)日(ひ)子(こ)根(ね)の神は、今は迦(か)毛(もの)大(おお)御(み)神(かみ)という。
 次に、大國主(おおくにぬし)の神(かみ)が神(かむ)屋(や)楯(たて)比(ひ)賣(め)の命(みこと)を妃に迎えて産まれた子は、事(こと)代(しろ)主(ぬし)の神(後に恵比寿さま)という。
 その次に、八(や)嶋(しま)牟(む)遲(ぢ)能(の)神(かみ)の娘、鳥耳(とりみみ)の神を妃に迎えて産まれた子は、鳥(とり)鳴(なる)海(み)の神という。この鳥(とり)鳴(なる)海(み)の神が日(ひ)名(な)照(てり)額(ぬか)田(た)毘(び)道(ち)男(を)伊(い)許(こ)知(ち)邇(に)の神を妃に迎えて産まれた子は、國忍富(くにおしとみ)の神である。この國忍富(くにおしとみ)の神が葦(あし)那(な)陀(だ)迦(か)の神、またの名は八(や)河(がわ)江(え)比(ひ)賣(め)を妃に迎えて産まれた子は、速(はや)甕(みか)之(の)多(た)氣(け)佐(さ)波(は)夜(や)遲(ぢ)奴(ぬ)美(み)の神である。この速(はや)甕(みか)之(の)多(た)氣(け)佐(さ)波(は)夜(や)遲(ぢ)奴(ぬ)美(み)の神が天(あめ)之(の)甕(みか)主(ぬし)の神の娘、前(さき)玉(たま)比(ひ)賣(め)を妃に迎えて産まれた子は、甕(みか)主(ぬし)日(ひ)子(こ)の神である。この甕(みか)主(ぬし)日(ひ)子(こ)の神が淤加美(おかみ)の神の娘、比那良志(ひならし)毘(び)賣(め)を妃に迎えて産まれた子は、多比理岐志麻流美(たひりきしまるみ)の神である。この多比理岐志麻流美(たひりきしまるみ)の神が比(ひ)比(ひ)羅(ら)木(ぎ)之(の)其(その)花麻豆美(はなまずみのかみ)の神の娘、活(いく)玉(たま)前(さき)玉(たま)比(ひ)賣(め)の神を妃に迎えて産まれた子は、美(み)呂(ろ)浪(なみ)の神である。この美(み)呂(ろ)浪(なみ)の神が敷山主(しきやまぬし)の神の娘、青(あお)沼(ぬ)馬(ま)沼(ぬ)押(おし)比(ひ)賣(め)を妃に迎えて産まれた子は、布(ぬの)忍(おし)富(とみ)鳥(とり)鳴(なる)海(み)の神である。この布(ぬの)忍(おし)富(とみ)鳥(とり)鳴(なる)海(み)の神が若(わか)盡(つく)女(しめ)の神を妃に迎えて産まれた子は、天(あめの)日(ひ)腹(ばら)大(おお)科(しな)度(ど)美(み)の神である。この天(あめの)日(ひ)腹(ばら)大(おお)科(しな)度(ど)美(み)の神が天(あめの)狹(さ)霧(ぎり)の神の娘、遠(とお)津(つ)待(まち)根(ね)の神を妃に迎えて産まれた子は、遠(とお)津(つ)山(やま)岬(さき)多(た)良(ら)斯(し)の神である。
 右に書き綴った八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神(須佐之男命と櫛(くし)名(な)田(だ)比(ひ)賣(め)の間に産まれた子)から遠(とお)津(つ)山(やま)岬(さき)帶(たらし)の神(最後に記された子)までを十七世(とおあまりななよ)の神と称するのである。

 参考までに「阿部國治著 新釈古事記伝 第二集」から、抜粋要約して引用する。
「夫婦は一夫一妻の結合を原則とすることは申し上げるまでもなくて『古事記』の指し示しているところも、もちろんそこにあります。ところが、人類の歴史の示すところは、この原則を守ることができなくて、われわれは歴史上の厳然とした事実に対して、あまり呑気な気持で、批評を加えることは慎まなければならないと思います。男女の愛に根本的な変化はなくても、社会的、経済的な条件には、時と所によって変動があります。この変動が原因になって、一男一女の夫婦の根本原理には変わりはなくても、一夫多妻、一妻多夫の結婚生活様式が生まれておるのであります。おそらく『古事記』の物語が、生活の指導原理としての役目を果たしておった時代は、一夫多妻の時代だったのでありましょう。この一夫多妻制のもとにあって『一夫一妻制に移していきたい』という素直な苦しみを、はっきり描き出しているこの段階が、特に深い意義を持つのであります。したがって『古事記』のここのところを読んで、八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)、沼(ぬな)河(かわ)日(ひ)賣(め)、須世理毘賣(すせりびめ)、大国主のために、共に泣き共に苦しむ心がなければ、ここのところは、永久に理解できないことになります。つまり、ここのところは、『結婚生活は、真心を持って、素直に営むべきものである』ということを、教訓でも、説教でもなく、一つの物語として示しておるのであります。」

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