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陰陽古事記伝 根之堅州国訪問 その五

〇超釈(阿部國治著 栗山要編 新釈古事記伝 第二集 致知出版社 を参考にして訳した)
 火が野原を焼き尽くすのを見ていた須世理毘賣(すせりびめ)は、生涯の連れ合いである大(おお)穴(な)牟(む)遲(ぢ)が焼け死んでしまったと思い込み、わぁわぁ泣き崩れながら葬式の道具を持って、焼け跡にやって来た。すると、焼け跡には、自分が途中まで手がけた出雲の国創りを引き継いでくれる後継者として大いに期待していた大(おお)穴(な)牟(む)遲(ぢ)が焼け死んでしまったと思い込んだ須佐之男の大神(おおかみ)が呆然と立ちすくんでいた。
 ところが驚くことに、穴の中から大(おお)穴(な)牟(む)遲(ぢ)の神が、須佐能男(すさのを)の大神(おおかみ)が射た鳴鏑(なりかぶら)(鏑(かぶら)の付いた矢)を握りしめて出てきて、須佐能男(すさのを)の大神(おおかみ)に献上した。
 だが大神(おおかみ)は、まだ大(おお)穴(な)牟(む)遲(ぢ)が修行を終えたとは認めなかった。御自身の御殿に連れて行き、さらに厳しい試練(修行の最終段階)を与えた。大神(おおかみ)は、大(おお)穴(な)牟(む)遲(ぢ)を八田間(やたま)の大室(おおむろ)という広々とした部屋に入れて、自分の頭に棲みついている虱(しらみ)を捕るように命じたのである。
 人の頭に棲みついている虱を捕るという行為は、よほど相手に信頼されていないとできない。リーダーたる者、沢山の人々から信頼され慕われるようにならないと、その役割を果たせない。だから、信頼され慕われていないとできない「頭に棲みついている虱を捕る」という行為を修行の仕上げとしてやらせてみたのである。
 ところが何と、大神(おおかみ)の頭の中をよく見るとムカデがウジャウジャ棲みついていた。大(おお)穴(な)牟(む)遲(ぢ)がどうしようか考えていると、妻の須世理毘賣(すせりびめ)が助け船を出してくれた。須世理毘賣(すせりびめ)は、椋(むく)の木の実と赤い土を大(おお)穴(な)牟(む)遲(ぢ)に手渡してアドバイスした。「椋(むく)の木の実をプチプチと噛んでから、赤い土を口に含んで、唾と一緒に吐き出せば、大神(おおかみ)はムカデを食い破って殺し唾と一緒に吐き出していると思うはずです。」
 これは、国土開拓者は、無闇に生き物の命を奪ってはならないという趣旨で行われた修行であり、大神(おおかみ)はこの修行を終えたならば免許皆伝を大(おお)穴(な)牟(む)遲(ぢ)に与えようと考えていたのである。
 大(おお)穴(な)牟(む)遲(ぢ)が言われた通りにやると、大神(おおかみ)は心の中で「愛(いと)しい奴じゃ。これで安心して免許皆伝を与えることができる」と思い、ぐっずりと眠ってしまった。
 大(おお)穴(な)牟(む)遲(ぢ)は「これは修行を終えて免許皆伝を与えるから、出雲の国に戻って国創りに取り組めと示唆しているのだ」と思い、大神(おおかみ)の髪をぐるぐる巻きに束ねて、部屋の中の太い柱に固く結び付け、さらに、五百人の力がなければ動かないほど大きな岩でその部屋の入り口を塞ぎ、妻の須世理毘賣(すせりびめ)を背負って、免許皆伝の印である大(おお)神(かみ)の生(いく)大(た)刀(ち)と生弓(いくゆみ)矢(や)(共に武力の象徴)と天(あめ)の詔(ぬ)琴(ごと)(権威の象徴)を持ち出して逃げた。ところが、うっかり、天(あめ)の詔(ぬ)琴(ごと)を木の枝にぶつけてしまい、大地が鳴動するほど大きく鳴り響いた。
 すると、ぐっすりと眠っていた大(おお)神(かみ)は大きな音に驚いて目を覚まし、二人を追いかけようと立ち上がったが、髪が太い柱に固く結び付けられていたので、追いかけて行くことができず、力の余りその部屋を引き倒した。
 髪をほどくのに手間取った大(おお)神(かみ)は、髪をほどいてから、ようやく二人を追いかけたが、二人は遠くまで逃げ去っていた。大(おお)神(かみ)がようやく黄(よ)泉(もつ)比(ひ)良(ら)坂(さか)に辿り着くと、遠くに二人の姿が見えた。そこで、大(おお)神(かみ)は大きな声で大(おお)穴(な)牟(む)遲(ぢ)に向かって叫んだ。
 「お前が持ち出した生(いく)大(た)刀(ち)と生弓(いくゆみ)矢(や)(共に武力の象徴)で、八十神たちをやっつけろ。山の裾まで、さらに、川の瀬まで追いかけて行ってやっつけろ。そして、おまえは大国主の神、あるいは、宇(う)都(つ)志(し)国(くに)玉(たま)の神と名のって、出雲の国を創り、私の娘の須世理毘賣(すせりびめ)を正妻として迎え入れなさい。そして、出雲の山に地底の石を土台として太い柱を立て、天空に千(ち)木(ぎ)を高く上げて、壮大な宮殿を建てなさい。この大馬鹿野郎め(よくがんばったなぁ)。」
 そこで、大国主の神は大(おお)神(かみ)に言われた通りに、生(いく)大(た)刀(ち)と生弓(いくゆみ)矢(や)で、八十神たちを山の裾まで、さらに、川の瀬まで追いかけて行ってやっつけていき、出雲の国創りを始めたのである。このことは、大国主の神が「ふくろしおい」や「あかいだき」の「優しさ(思いやり)」だけでなく、今回の修行を通して「強さ」と「智恵」を得て、リーダーとしての資質を身に付けたことを表しているのである。

 以下、阿部國治著・新釈古事記伝 第二集から、要約して引用する。
 『虱取り』について、他人に「おい、髪の毛の虱を取ってくれないか」などと、心やすく頼まれるまでの修行が容易ではありません。どんな人からでも「髪の毛の虱を取ってください」と頼まれるようになれば、人間もたいしたものだと思うのであります。『生(いく)大(た)刀(ち)、生弓(いくゆみ)矢(や)』の教えは、意味の深いものであって、あらゆるものを生かし、あらゆるものに適当な位置を与え、あらゆるものに意義あらしめよというのが大和民族の教えであります。『生(いく)大(た)刀(ち)、生弓(いくゆみ)矢(や)』の光を、自分の中から磨き出さなければならないのでして、『生(いく)大(た)刀(ち)、生弓(いくゆみ)矢(や)』の精神は、武道の極意を現していると考えてよいのであります。
 引用は以上である。阿倍先生の『虱取り』の解釈には、只(ただ)々(ただ)感服するしかない。

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