五月十二日の言葉 学問の目的
それ学は通(つう)の為にあらざるなり。窮して困(くる)しまず、憂えて意(こころ)衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるが為なり。〔荀子〕
通とは通達するということです。学問というものは決して出世や生活のための手段ではない。窮して悲鳴をあげたり、心配事のために直ぐぺしゃんこになるようでは学とは言えない。何が禍であり何が福であるか、如何に始まり如何に終るか、ということを知って惑わざるが為である。(以上、安岡正篤一日一言から)
この荀子の言葉は、わたしがとても好きな言葉であります。学問は仕事や生活のためにするのではなく、己の人間を磨くためにするのです。戦後の日本では、そのような本当の学問をしなくなり、仕事や生活の手段と成り下がってしまったから、今、大変な精神的な危機、心の崩壊に直面しています。そういうわたし自身、本当の学問をするようになったのは最近のことですから、偉そうなことは言えませんが、今の人々はまったく本当の学問をしなくなりました。ですから、人間として実に不安定です。自分というものを確立しておりません。
論語の中でも特に有名な孔子が生涯を振り返った言葉があります。
子曰わく、吾十有五にして學に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)い、七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず。
今の日本に學に志している人がどれほどいるでしょうか。荀子の「それ学は通の為にあらざるなり。窮して困しまず、憂えて意衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるが為なり」の學です。
学校での学問は、通の為の學に成り下がってしまった現代、目先の仕事や生活に追われて一生學に志すことなく、その人生を終える人が圧倒的に多いのではないでしょうか。學に志すことがなければ、立つ(己を確立する)こともなく、惑わず(不惑)という境地にも達しないでしょう。当然、天命を知る、ということなく生涯を終えるわけです。それではせっかく人間として生まれてきた甲斐がないではないのでしょうか。わたしは、天命を全うして生き切りたい…。
